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求道会(晃照寺)の紹介

2006年2月2日、晃照寺さまへお邪魔し、求道会のようすを取材させていただきました。

テキストこの日の参加者は11名。うち女性が10名と圧倒的でした。年齢層は20代から60代までと幅広く、いちばん若い方は今日が二回目の参加ということでした。この会は約40年前に発足し、その当時は4、5名の参加者でしたが、長い歴史の中で数多くの聞法者を育ててきました。常に出入り自由、会費も任意というオープンなシステムです。じっさい、所属は他のお寺だけれども職場が近くなので参加している、という方もいらっしゃいました。

午後7時ちょうど、参加者が揃ったところで三帰依文を唱和。現在は正信偈について学習しており、テキストは「正信偈<改訂版>」(真宗大谷派教学研究所編)と「真宗聖典」です。今日は「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」の2句についての学習でした。テキストの書き下しを全員が声を揃えて読んだ後、講師(晃照寺前住職・八神正信師)が、1時間にわたり、一言一句について丁寧な解説を行っていきました。この間、参加者は熱心にノートをとっていました。

会のようすこの後、質疑応答およびフリートークに移り、みなさんが自分の問題意識に即した発言をなさっていました。特に「不断煩悩」について発言が集中しました。
「腹が立つことはしょっちゅうだけれども、煩悩だからしかたがないのかと...」
「それは煩悩を言い訳にしてそこから逃げているだけで、身に引き受けていないのです。」
「自分の煩悩を自覚しても、また次の煩悩が出てきます。」
「煩悩は仏に出あうための不可欠なエネルギーです。苦悩できるということは幸せなんです。」
このような感じで講師と参加者、また参加者同士の間で活発なやりとりが続き、「真宗と新興宗教の大きな違いは...」「真宗と他宗派・キリスト教との接点は...」「最近の若いものは、とよく言うけれども年配者にむしろ問題がある...」「発達障害の子をどう受け入れていくのか...」等々、話題は多岐に渡りました。

講師の八神先生は、最後に「他の誰でもない、この私が私の煩悩を自覚し責任を引き受ける中で仏に出あっていく、一切が如来の賦与として聞法者となっていくのが真宗の仏道」と締めくくられました。

会は、最後に恩徳讃で終了しましたが、その後も残って講師に質問をなげかける参加者の姿がありました。


取材スタッフの感想メモ

参加者のみなさんが、御自分の問題意識にひきあてて講義を聞き発言なさっていたことが印象的でした。単に知識として正信偈の意味を知るということ以上に尊いことだと思います。また、2時間のあいだ、休憩なしに講義座談が続いたこともすごいです。講師の豊富な学識もさることながら、会の名称通り求道精神に溢れた姿勢に参加者が引きつけられるのでしょう。(山口)