学ぶ・考える

人権を考える

名古屋教区第30組
第3期第2回「人権問題」学習

人権に学ぶ
‐タイ女性の救援活動を通じて‐

仏教者国際連帯会議・日本会議  杉浦明道

1.アジアとの出会い

 

・ミンダナオ島(フィリピン)の信仰運動に学ぶ体験学習ツアー
・タイ女性問題との出会い‥‥なぜタイ女性問題と関わってきたのか

2.Trafficking in Persons(人身売買、あるいは人身取引)とは

・タイ女性にみられる人身売買システムとは

3.国際的人身売買の被害者として入国したタイ女性が日本国内においてどのような状況に置かれてきたか

 
(1)1980年代 (人身売買システムが確立した時期)

・人身売買の被害に遭うタイ女性の数が徐々に増えてきた
・関東ルート(関東、および長野、愛知、岐阜、静岡など)と関西ルート(近畿、および三重、岡山、広島、愛媛など)

(2)1990年代前半(人身売買の被害者が急増した時期)

・この間に、10万人を超えるタイ女性が人身売買の被害者となった。
・タイ女性を巡る事件(下館事件、茂原事件、市原事件、桑名事件など)が相次いで起きた

(3)1990年代後半から現在まで(被害にあったタイ女性が見えにくくなった時期)

・人身売買の被害に遭うタイ女性の数は減ってきたが、今なお新たな被害者が生まれている
・人身売買や強制売春の実態はますます巧妙になってきている

4.2000年7月に起きた「四日市タイ女性人身売買事件」の背景

・なぜ事件は起きたのか
・正当防衛を正面から問うケース(類似事件のなかで初めての上告事件)
・どのように裁かれたのか

5.「人身売買罪」の新設と「人身取引対策行動計画」によって、人身売買の被害はなくなるのか

・人身売買罪が新設されたとしても課題は残る
・捜査(警察・検察)・司法の場で、人身売買の被害はどのように理解されてきたか(捜査・司法の意識改革の必要)
・根強い偏見と差別意識、認められない正当防衛


タイ女性の救援活動を通して問われたもの
「タイ女性にみられる国際的人身売買の実態とアジア女性の人権」

仏教者国際連帯会議・日本会議  杉浦明道

タイ女性問題との出会い

私がタイ女性問題とかかわり始めたのは、1988年7月のことである。そのころ、名古屋市内で自殺未遂をしたタイ女性が警察に保護され、その後、名古屋入国管理局に送られるという事件があった。私は、名古屋入管からの依頼を受け、その女性が精神的に落ち着き帰国することができるまでの間、明勝寺で保護することになり、およそ1ヶ月間保護した後、本国へ帰国させた。それ以来、「滞日アジア労働者と共に生きる会(あるすの会)」の事務局員として、また、「仏教者国際連帯会議」(89年にアジア諸国の人権、女性、環境問題に取り組む仏教者のネットワークとして、タイで発足。)では、女性問題を担当して、300人以上のタイ女性のケースにかかわってきた。

そのおもな内容は、帰国までの一時保護、帰国の支援、監禁されているタイ女性の救出、刑事事件の被告となったタイ女性の裁判支援、行方不明者の捜索、病気になった人の相談、あるいは結婚、離婚、子どもの問題などである。とくに、タイ女性の帰国までの保護については、明勝寺に緊急一時避難施設を設けている。

タイ女性は人身売買の被害者

「日本へ来て稼ごうと考えているのなら、どうかやめてほしい。工場で働くという誘いのことばはうそです。あなたを売春させるつもりなのです。私も騙されたひとりです。私たちは動物と同様に思われています。金を稼ぐ道具にすぎないのです。日本は天国ではなく、地獄です。サクラのようにきれいなところではありません」

これは、92年5月に起きた「新小岩事件」で加害者となったタイ女性のひとりが、大使館を通じて母国に人たちに訴えた手紙である。「金ほしさからの自業自得だ」と、冷めた見方をする人もいる。だが、タイ女性を「出稼ぎ」に駆り立て、人権侵害へと追い込んでいる責任は日本の側、私たち自身にあることは否めない。タイへ向けたこの手紙は、私たち日本人へ向けられた手紙でもある。

タイからの出稼ぎ女性は、日本からの買春ツアーに対する批判の高まりのなか、逆流する形で急増した。日本に渡ってくる多くのタイ女性は、確かに形の上では「出稼ぎ」のようであるが、実はタイと日本を結ぶ国際的人身売買の被害者となっている。80年代半ば頃にはその構造ができあがり、その後、90年代に入ると、年間2万ないし3万人のタイ女性が、おもにタイの農村で狩られて日本へ送り込まれてきた。狩られたタイ女性は、商品として扱われ、女性という「性」そのものに値段を付けられる。日本には、女性の人格を否定した「性・セックス」を買いたいという身勝手な日本人男性の膨大な需要があるからである。この需要、すなわち「日本の買春市場」に目をつけた国際的人身売買組織が、東南アジアとりわけタイから、若い女性を組織的に日本へ送り込んでいるのだ。入国した女性たちはタイ側のブローカーから日本側のブローカーへと転売される。さらに女性たちは、タイ女性を働かせる風俗営業店や管理者となるボスママに買われ、「架空の借金」(現在では、450万から550万円) を課せられる。騙されて日本に売られたきたタイ女性は、「借金」返済と称して、監禁、暴力等さまざまな虐待を受けたうえ、「無償の売春」(=継続的な強姦) を長期間強要され、心身ともに回復不可能な被害を受け続けているのである。

そのような状況のなかで、89年以降、タイ女性が被害者あるいは加害者となった「殺人事件」は、わかっているだけでも30件以上起きている。なかでも、人身売買の被害者であったタイ女性がその状況から逃れるために、ボスママや経営者らをやむをえず殺害してしまった事件が、道後事件(89年、愛媛)、下館事件(91年、茨城) 、新小岩事件(92年、東京) 、茂原事件(92年、千葉)、市原事件(94年、千葉) である。これらの事件は、いずれも「架空の借金」を課せられ、その代価として、監禁され、「売春」を強要させられていた状況から逃れるために、やむをえず起こしてしまったものである。

「彼女(ボスママ)に虐げられ、いじめられ、身体と心を脅迫されるために生まれてきたのではありません。彼女に自由を奪われ、どこへも行けず、監禁されるために生まれてきたのでもありません。だって人生というのはすべてそれぞれの自由があるべきものではないでしょうか。……私がしてしまったことは間違っていたとしても、身体も心も脅迫されることから逃れるために、そして両親と私自身の生活の安全のために自由になりたかった。そのためにはせざるを得なかったのです。どうぞ皆様ご理解くださり、私の問題を考えてくださいますようお願いします。……今、私の人生は海の真ん中にいるようなものです。どうぞこの人生を岸に戻してください。……待っています」

これは、91年9月に起きた「下館事件」で加害者となったタイ女性のひとりが書いた手紙の一部分である。いったい私たちは、この叫びにどう応えることができるのであろうか。

なぜ、タイ女性は人身売買の犠牲者となるのか

その背景には、タイ人の家族観、そして仏教観ということがある。タイのなかでも、とくに北タイや東北タイの農村にみられる伝統的な家族観として、子どもが親のために犠牲となり、自分自身の身を削ってでも親に対して孝行するということが、タイ女性の使命感、あるいは義務感となっている。その考え方は女性にのみ強く存在する。それゆえに、貧しい農村の女性のなかには身売りを余儀なくされる者も多くある。また、ある者は日本への「出稼ぎ」を選ぶのである。さらに、この家族観はタイ仏教とも深く関係している。親の幸せは必ず自分の幸せにつながるものである。しかし、現世において親を不幸にしてしまえば、来世においても自分だけでなく親の不幸につながるというタイ仏教の考えである。

一般に、タイの人たちは現実において貧しければ貧しいほど、自分たちの将来において、あるいは来世においてより幸せになりたいということで、「タンブン」という功徳を積む。タンブンとは、寺に寄進をすることや毎朝僧侶に対して食べ物を差し上げるなどの行為をすることで、人々はより多くの功徳を積むことによって、自分の将来に幸せが約束されると信じている。タンブンの最上とされる行為は、寺を建てることと、出家して僧侶になることである。そして、人々が寺を建てるために寄進することによって得られる功徳の量は、寄進や布施の分量に比例すると考えられている。しかし、出家して僧侶になることは男性にしかできないのである。タイをはじめとする上座部仏教では女性の出家は認められていないので、たとえ女性が仏門に入ったとしても在家者のままであり、それゆえ女性は献身的に寺に寄進するなどのタンブンに励むしかないのだ。

ところで、このような現実に対して、タイ仏教は女性たちを救おうとしているかというと、一言で言えば、見て見ぬ振りをしているわけである。いや、積極的に肯定しているといった方がいいだろう。なぜなら、女性たちの行うタンブンによって寺にはたくさんの寄進があり、一方、僧侶自身は寄進の多い少ないによって、徳の高さや地位が決定されるからである。このようなタイ仏教の現実に対して、タイ女性問題と向き合おうとする僧侶もいる。パイサン・ウィサーロ師はそのひとりである。彼は何度となく日本を訪問し、タイ女性の裁判を傍聴したり、各地の拘置所へ面会にも訪れている。

タイ女性を巡る最近の状況

90年代後半以降、タイ女性を巡る状況は確かに少しずつ変化してきた。それは、日本とタイのNGOによる救援活動と同時に、タイ政府が国際的人身売買の問題を深刻に受け止め、対策に乗り出したからだ。93年、タイ政府は労働福祉省と国会議員による調査団を初めて日本へ派遣し、日本国内に滞在するタイ女性の実態について調査を開始した。その調査結果として、国際的人身売買の被害に遭っているタイ女性の数は5万人以上いると報告された。その後、タイ政府は本格的な対策に取り組み、日本へ渡ろうとするタイ女性に向けては危険があることを知らせる努力を続けている。また、日本国内に労働福祉省の事務所を開設し、被害に遭っているタイ女性の問題に取り組んでいる。さらに、タイ大使館の主催による「在日タイ人の問題に関するセミナー」が開催され、タイ大使館とNGOとの連携も徐々に強まってきた。その結果として、現在、国際的人身売買の被害に遭っているタイ女性の数は以前に比べて減少してきた。

しかし一方で、人身売買や強制売春の実態は複雑、かつ巧妙になってきている。問題はより深刻な状況ともいえる。そのことを思わせる事件が2000年7月に三重県四日市市で起きた。ボスママであったタイ女性が殺害されるという事件(四日市タイ女性人身売買事件)である。まもなく、この事件の容疑者としてタイ女性とタイ男性の二人が逮捕され、女性の方は「強盗致死罪」で、男性の方は「殺人罪」で起訴された。殺人罪に問われたタイ男性の裁判は、すでに一審と控訴審が終わり、懲役10年の刑が確定し、刑務所に服役している。また一方、強盗致死罪に問われているタイ女性の裁判は、2003年5月7日に津地裁で一審の判決公判が開かれ、懲役7年(同求刑12年)の判決が言いわたされた。判決では、当初の暴行(被害者を殴った行為) に対して正当防衛を認定したものの、結論としては正当防衛を否定するという矛盾したものであった。彼女はすぐさま名古屋高裁に控訴した。

控訴審公判にあたっては、一審の弁護人であった福井正明弁護士を主任弁護人に、稲垣清弁護士、内河惠一弁護士、加城千波弁護士、近藤雅樹弁護士の5名による弁護団が結成された。しかしながら、2004年7月8日に名古屋高裁で開かれた判決公判では、一審の判決がそのまま支持され、懲役7年の判決が言いわされた。弁護団は被告人の意志も尊重し、これまでの同様な事件では初めて最高裁に上告した。だが、11月26日、最高裁は上告棄却の決定を言い渡した。それは弁護団が上告趣意書を提出して、わずか2ヶ月足らずという短期間でのものであった。最高裁の裁判官が上告趣意書やこれまでの裁判記録を真正面から読んだとはとうてい思えない判断である。もし、裁判官が鋭い人権感覚を持っていれば、救済の手だてを慎重に検討するはずである。これで懲役7年の刑が確定してしまった。

さらに、2002年12月には、ひとりのタイ女性が病気のため、26歳の若さで死を迎えるという悲しい出来事があった。病名はエイズによる脳原発悪性リンパ腫であった。14歳の時に来日して12年間、一度もタイ本国へ帰ることなく、異国で亡くなったのだ。彼女もまた、国際的人身売買の被害者のひとりであった。せめてもの救いは、彼女のただひとりの姉が来日し、死の直前に12年ぶりにあえたことだ。このように、タイ女性を巡る問題は決して終わりを告げていないのである。

2005年7月12日、人身売買罪を新設した改正刑法が施行された。また、2004年12月には、日本政府は「人身取引対策行動計画」を策定した。このように行政や立法においては、人身売買被害者の保護への動きが始まった。しかし、ほんとうに人身売買の被害はなくなるのであろうか。

タイ女性問題をふり返って

タイ女性問題と出会ってすでに20年になった。ふり返ってみると、十分にできなかったことばかりが気にかかっている。救出に失敗したケース、帰国したタイ女性がブローカーの手によって再び日本へ連れ戻されたケース、刑事事件の被告となったタイ女性にとって日本の司法の壁は厚く、重い刑を受けざるを得なかったケース、無事に本国へ帰国した彼女たちを待っている新たな苦悩、今なお新たな被害者が生まれていることなど様々である。

この問題の根は深い。それだからこそ、タイ女性の声なき叫びを聞き続けていかねばならないであろう。なぜなら、タイ女性問題とはまちがいなく私たち自身の問題であるからだ。

資料 タイ女性が被害者、加害者となった「殺人事件」

  • 1989年
    • 1月 都内のマンションでタイ女性が日本人男性に絞殺される。(東京都新宿) 
    • 11月 マンションでタイ女性が刺殺される。顔見知りのタイ女性が容疑者として逮捕されたが、不起訴となる。事件は未解決となる。(三重県四日市市) 
    • 12月 道後温泉のマンションでタイ女性が首などを切られ殺害される。(愛媛県松山市) …道後事件
     
  • 1991年
    • 1月 都内のホテルでタイ女性が絞殺される。(東京都新宿) 
    • 1月 ホテルでタイ女性が日本人男性に絞殺される。(栃木県宇都宮市) 
    • 9月 タイ女性3人がボスであったタイ女性殺害の容疑で逮捕。強盗殺人罪で起訴された。(茨城県下館市)…下館事件 
    • 9月 2ヶ月の赤ちゃんを抱えたタイ女性が刺殺される。(和歌山市) 
    • 10月 タイ女性が同居のタイ女性殺害の容疑で逮捕。(東京都新宿) 
    • 10月 タイ女性が同棲していた日本人男性の前妻によって殺害される。(熊本県) 
  • 1992年
    • 1月 スナック経営者とタイ人ママが刺殺される。(千葉県木更津市) 
    • 3月 タイ人ママと内縁の夫が殺害される。(長野県上田市) 
    • 3月 タイ女性が日本人男性殺害の容疑で逮捕。(茨城県鹿島郡) 
    • 5月 タイ女性6人がスナック経営者(台湾人女性)殺害の容疑で逮捕。6人の内、1人は15歳の少女。(東京都新小岩) …新小岩事件
    • 5月 2人の子供を抱えたタイ人ホステスが知り合いのタイ人ホステスを殺害。(大阪市中央区) …ナターシャ裁判
    • 6月 タイ女性が知り合いのタイ女性殺害の容疑で逮捕。(横浜市)
    • 9月 シンガポール国籍のスナック経営者(女性)が同店で働いていたタイ女性5人に殺害される。(千葉県茂原市)…茂原事件
    • 10月 タイ女性が殺され、同居していた日本人男性の前妻が殺人の容疑で逮捕。(埼玉県熊谷市)
  • 1993年
    • 2月 タイ女性が首を切られ殺害される。タイ人ボス(女性)とタイ男性3人が殺人の容疑で逮捕。(横浜市)  タイ人ボス、殺人と死体遺棄の容疑で再逮捕。(92年11月下旬頃、別のタイ女性を都内で殺害し、遺体を山中湖畔に埋めた)
    • 3月 ホテルでタイ女性の絞殺死体が発見される。(長野県東部町)
    • 7月 都内のホテルでタイ女性が殺害される。(東京都池袋)
  • 1994年
    • 1月 タイ女性の白骨体が柏崎市内の山中で見つかる。殺人の容疑で、スナック経営者と妻のタイ女性、さらにタイ男性を逮捕。前年5月下旬、被害者を殺害。(新潟県柏崎市)
    • 1月 ホテルで日本人男性が殺害される。殺人の容疑でタイ女性を逮捕。その後、被害者の仲間の日本人男性を、逮捕されたタイ女性に対する強盗強姦などの容疑で逮捕。(三重県桑名市)…桑名事件
    • 2月 タイ人主婦(ボスママ) が殺害され、殺人の容疑でタイ女性を逮捕。その後、逮捕されたタイ女性に対する逮捕監禁などの容疑で日本人男性2人を逮捕。1人は被害者と知人のスナック経営者(暴力団幹部)。(千葉県市原市)…市原事件