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法話:お婆さんは『宝』

お婆さんは『宝』
願成寺 釋 成誓(太田成誓)

先日、古くからお付き合いのあるご門徒のお婆さんが90歳で亡くなり、葬儀をさせて頂きました。15年ほど前に脳卒中で倒れ、寝たきりに近い状態で、在宅での生活をされていました。10年前にご主人がガンでなくなり、それ以降は、車で30分ほど離れた所に住んでいる団塊の世代になる3人の子どもたちが、昼夜にわたって当番制で介護をされていました。15年もの長い年月の間には、介護の量も増えていき、介護する子どもたちにも、さまざまな困難なできごとがありました。

お婆さんが、亡くなったというご連絡をいただき、枕経、お通夜でいろいろとお話をうかがいました。お婆さんの介護をするまで、子どもたちもその家族もバラバラだったのに、これをきっかけとして、お互いに助け合えるようになりました。また、大きな病気をした時も、母親のために、そして、自分のためにも、もう一度、母親の介護のできるように治療に専念しようと頑張ることがでて、本当にお婆さんに支えられていたことを実感したと語っておられました。

お通夜では、子どもたちとそのご家族のご苦労をねぎらうとともに、司馬遼太郎さんの『21世紀に生きる君たちへ』のなかの「人間は、助け合って生きているのである。私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。」という一文を紹介し、私たち人間は、それぞれが関係存在として支え合って生きているのであるが、そのことを、身をもって教えて頂けたということを感謝の気持ちとともにお伝えしました。

また、お婆さんの法名に「宝」という字を一字加えました。寝たきりであったお婆さんですが、その存在が、そこにかかわる多くの方の宝であったのではないかという思いからです。「病」や「老」は、我々にとって誰もが、逃れたい避けたいものであり、経済的な価値観が横行する中で、寝たきりに近い状況は、存在価値そのものが否定されてしまいそうな現代社会です。しかし、今回のご縁を通して、改めて、お婆さんの存在そのものが、私たちを支える何にも代えることのできない大切な存在であり、我々一人ひとりは、どういう状況におかれたとしても、きっと大切な役割があるのだということを教えていただきました。この葬儀を機縁として、思いを新たにお婆さんのことを憶念しながら、教えに出遭っていきたいと思います。


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