まもなく西暦2007年、平成19年を迎えようとしているわけですが、実は紀元法というのは、世界中にいろいろな種類があるんですね。年輩の方なら、「皇紀」というのが使われていたのを御存知でしょう(今でも使っている人がいますが)。
ちょっと調べてみましたら、今年は
さて、こうしてみると、紀元法というのがいかに宗教と密接に関わっているかが分かります。主体暦といえども、主体思想が一種の宗教だと考えうるでしょう。つまり、ある人間集団にとっての最大の記念すべき年を始まりと考えて、そこから現在までの歴史をみるのですが、何をもって最大の記念事とするか、そこに宗教、すなわちポール・ティリッヒによれば「究極的関心」が登場するのです。
では仏教には紀元法はないのか、といえば、ちゃんとあります。仏暦(仏滅紀元暦)2549年(B.E.2549)というのがそれです。これは、キリスト紀元暦がイエスの生誕を元年とするのと対照的に、釈尊の生誕ではなく死を元年としています。これは興味深いことです。おそらくキリスト教徒にとっては、イエスは神の子として生まれた、神がイエスをこの世に遣わした時が歴史のスタートなのです。しかし仏教徒の場合、釈尊の生誕じたいは大したことはなくて、その死を「完全なる涅槃」(パリニルヴァーナ)ととらえて、そこに宗教的意義を見出すのです。真宗でも、宗祖親鸞の死を記念して報恩講を営み、それが真宗の最大の仏事になっていますが、降誕会はそれほどでもありません。というか、私などは親鸞の誕生日がいつだったか、覚えていません。イスラム教の場合、ムハンマド個人への崇拝はありませんから、生誕年でもなく死亡年でもないヒジュラ(聖遷)が関心事になるのでしょう。
仏暦は、東南アジアではわりあいに普及しています。ただ、今年が仏暦2549年(B.E.2549、BE=Buddha Era)であるというのは、タイ・ラオス・カンボジアのはなしであって、ミャンマーやスリランカでは仏暦2550年です。どちらも、釈尊入滅をB.C.544年としているのは同じなのですが、その年を0とするのか1とするのかの違いがあるために1年ずれてしまいました。ゼロの観念をもっていたインド文化からすれば、2549年ということになりますが、時々論争になることがあります。そのためもあるのか、日本でも仏暦を使おうと思うと、この問題にぶちあたり、結局決めることができないから採用しない、ということがあるようです。実は私自身、4年前に国際仏教エスペランチスト連盟の機関誌を創刊した時、表紙にB.E.2545と書いたら、「その根拠は何か」と言われた経験があります。これは実に微妙な問題ではありますが、そのことで論争しても意味がないと思います。ですから私は、全日本仏教会に「とりあえず」したがって、2549年とします。
ちなみに、歴史上の釈尊が亡くなったのは、B.C.383年という説が学会では有力です。つまり161年新しいわけです。しかしB.C.383年説にしても、有力というだけで異論も多くあります。キリスト紀元暦と同様、あくまでの宗教上の伝承ですから、問題はないでしょう。
ここで本題に入ります。タイトルのとおり、仏教徒なら仏暦を使おう、という提言です。もちろん、日常生活では西暦や元号を廃するわけにはいきませんし、仏暦だけでおしとおすのは現実的ではありません。要するに、併記すればいいのです。正直にいえば、私自身が今まではあまり仏暦を使っていませんでした。本サイトでも西暦を専らに使ってきましたが、今後は改めたいと思います。ただし、すべてのファイルを書き換えるのはめんどうなので、新規作成分から、ということでかんべんしてください。
仏暦を使おう、という発想のもとになったのは、グローバリゼーションというのか、どこでも西暦が幅をきかせてあたりまえのようになっている現状への異議申し立てです。繰り返しますが、西暦はキリスト紀元暦だからだめだ、というのではありません。ただ、私たちの世の中はいろいろな物差しがあってよい、ということなのです。便利さという点からだけすれば、むしろ西暦に統一した方がよいのでしょう。しかし便利さと引き換えに、複眼的思考法という宝を失ってしまいはしないでしょうか。ただ、元号はいかにも不便すぎます。
真宗大谷派では、宗務機関の発する文書には西暦(元号)という年数表記をすることになっているそうです。電話で本山総務部に尋ねてみると、西暦1999年に内局通達というかたちで、このように定まったそうです。それに反対するわけではありませんが、仏教徒の組織ならば何らかのかたちで仏暦を入れられないものか、と思います。
(B.E.2549年/A.D.2006年12月18日脱稿)