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法話:自死を考える

自死を考える
上宮寺 釋 専勝(長谷川専勝)

アラ還世代の私は、サッカーよりも野球が好きでプロ野球のテレビ中継はよく見ます。地元のナゴヤドームだと、大体の試合が3万人以上の観客が入ると思っていいでしょう。この3万人という人数は、とてつもない数で試合の終わった後には、帰り客が地下鉄に殺到して大変な混雑となります。ところがこの3万人というとてつもない人数が毎年日本では、自死つまり自殺する人の数です。これは異常だとは思いませんか。交通戦争といわれて久しい我が国ですが、年間の死亡者は1万人を切っています。この数の3倍強の人々が様々な理由で自殺しているのです。

子供であれば、いじめからその苦しみに耐えられず自殺をすることが多いでしょう。成人では、最近社会問題にもなっている派遣切り、突然のリストラ、あるいは職場でのいじめ等、老齢者においては、生活不安から、また病気の苦しみから命を絶つという悲しい事件が頭に浮かびます。これらに対する手だては国や地方あるいは民間のいろいろな努力が図られているものの、いっこうに減少しません。

自殺を決行しようとしている人には、或る共通点があるように思います。つまり現在置かれている環境が地獄以外の何物でもないということです。その人を救うには地獄から極楽へ移動させることだと思います。つまり今の環境から思い切って自ら脱出する、子どもであれば保護者が新しい環境へ移してやることです。

日本人は元々、農耕民族のため全く違った環境へ移動することをあまり良しとしませんが、1人の命が救われるならば、地獄の環境から極楽の環境に移るべきだと思います。視野を国内だけに限定せず世界中に向ければ、自分が人間らしく生きられる場所はきっと有るものです。

当寺の門徒さんで、度々タイへ行く人があります。自分の娘さんがタイに居るからです。門徒さん、つまり娘さんの母親が言われるには、「タイはいいところですよ。何と言ってものんびりしていて、食べることに、あくせくしなくてもいい、つまり大変生活がしやすい国です。例えば、象の餌にする野菜などは、すごい量でも、すごく安い(もちろん人間でも充分食べられるほど新鮮です。)タイは仏教国なので、僧侶を尊敬しています。いくら貧しくても毎日托鉢に来る僧侶には、必ず布施をします。日々を仲良く助け合って人間らしい生き方をしています。今の日本人には失われてしまった大切なものを感じます。」ということでした。

そんな国へボランティアに出かけたら人間回復なるかもしれません。どこやらの国では、大企業が生き残りを名目に大勢リストラして、その一方で役員報酬が8億円以上という、とてつもない金額を受け取って、これが当たり前といっている、ゴーン欲な外国人がいる、そんな国には希望は持てません。

人間が人間らしく生きていくには、地獄のような環境に留まるのではなく、積極的に極楽の環境に脱出すべきだと思うのです。


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