学ぶ・考える

お経を聞く:御文

はじめに

「お経」というと、漠然と漢文で書かれた仏教聖典をイメージされる方が多いと思いますが、厳密な意味では、仏教の教主・釈尊の言行録をいい、もう少し詳しくいうと、弟子の阿難(アーナンダ)が第一回経典編纂会議(結集:けつじゅう)において誦出し、それが他の弟子によって認められたものをいいます。当時の言語は古代マガダ語であったと推定されています。

その後、大乗仏教の興隆の中で、菩薩といわれる人々が釈尊に付託して、サンスクリット語で創作していったものが大乗経典とよばれています。これが西域・中国に伝わって漢訳され、さらに日本へと伝わり、日本仏教の聖典となって今日にいたっています(江戸時代までは、すべての経は文字どおり釈尊の直説であると信じられていました)。日本では、「経」の意味が拡張されて、インド・中国・日本の高僧の著作まで含めて「お経」といわれることがあります。(さらに詳細については、「大蔵経(一切経)のはなし」をごらんください)

親鸞聖人は、浄土三部経を根本的な拠り所となる経典(所依の経典)としました。真宗大谷派教団では、それを受けて、「正依の聖教」を次のように宗憲第11条で定めています。

  1. 浄土三部経(佛説無量寿経、佛説観無量寿経、佛説阿弥陀経)
  2. 七高僧(龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、源空)の著作
  3. 宗祖親鸞聖人の著作

大谷派の法要儀式においては、上記のうち、浄土三部経はもちろんですが、七高僧および宗祖の著作から偈文(漢詩)あるいは和讃(和文の詩句)が用いられます。

なお、声明は古来より口伝によってきたために、緩急・抑揚にはさまざまなバリエーションがありますが、ここでお聞きいただくのはその一例です。