正福寺同朋会の紹介
2006年2月23日、八事日赤病院近くの正福寺同朋会を訪れ、聞法会のようすを取材させていただきました。
以前、正福寺は名古屋市中区の伏見にあり、先々代住職が聞法会を主催していましたが、30年前昭和区に移転後はとだえていました。それを現住職が復活させてから19年に及び、今年で20年目になります。それだけに、長く聞法を続けられてきた方が多いことが、この会の特徴とお見受けしました。
この日の参加者は16名、男女およそ半数ずつ。また、正福寺門徒の占める割合もおよそ半数で、あと半数は有縁の方、とのこと。今日が初めての参加、という方も二人いらっしゃいました。初参加の方には、難しい用語もあったと思われますが、「聞き続けていくことがたいせつ」との、ベテラン参加者や講師(亀井鑛先生)のはげましが力になったことと思います。
1時半から正信偈同朋奉讃によるお勤め、そして2時から4時までが聞法の時間です。現在のテキスト「日暮らし正信偈(同朋選書)」は、亀井鑛先生の執筆によるもので、著者自らの講義を受けられるのはとてもありがたいことです。今日は、このテキストの2回目で、「師との出あい」および「智慧の光明」の2章を学びました(正信偈原文では、「法蔵菩薩因位時」より「一切群生蒙光照」までの14句)。
はじめに、先生がテキストを読んでいきます。平易な表現の中にも、考え方の根元に著者の体験や日常生活での具体例が織りこまれていますので、正信偈の内容についてある程度知っている方には、より深く考えさせられる内容となっています。
そして、住職からのコメントも交えながら、参加者が質問をしていきます。
「自分の罪業を自覚することは分かるのだけれども、そこから先、新たに開けてくる境界、宗教経験、回心といったようなものは、具体的にどういうもので、どうしたら可能なんでしょうか?」
「自分が窮地に立った時、念仏をとなえてしまう。それで安心感が得られる。そういう念仏でもいいのでしょうか?」
座談は、この二つの質問を中心に展開され、その中から、「二種深信」「智愚の毒」「信知と存知の違い」といったテーマにまで掘り下げられていきました。時に、発言者に対して、「それはまちがった信心」との厳しい批判がなされるひとこまもあり、それだけこの会が真剣であることを感じさせるものでした。
取材スタッフの感想メモ
亀井先生が「こういう同朋会に来る人たちは、みんな知性的だ。しかし、言葉で聞いて理解できたと思っているだけではだめで、生活の中で実地に確かめていかなくてはいけない」とおっしゃったことが強く印象に残っています。何よりも、一つのことを深く掘り下げて考えさせられていくような会の雰囲気、そしてそれを可能にしている参加者の真剣さを感じました。座談中、雑談に類するような話がいっさい出てこなかったのも、真剣さの現われだと思いました。(山口)