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第12期讃頌会研修会の報告(2018年1月19日、2月23日、3月6日)

讃頌会研修会、交流懇親会 於:別院会館 蓮の間
講師 伊東恵深(同朋大准教授)
講題 親鸞聖人のご生涯と教え
1回目 2018年1月19日(金) 午後2時~3時半 参加38名
2〃      2月23日(〃)  〃       〃 40〃
3〃      3月 6日(火)  〃       〃 36〃   交流懇親会3時半~4時半 参加15名

講義メモ

親鸞様の一家は全てお坊様になっている。これは何かに時代の流れに巻き込まれたのではなかろうか。幼少期は、貴族から武家社会への転換期であり、昨日までのことがあてにならない時代であった。1181年 平清盛の死。1185年 平家滅亡。そんななかで、本当の拠り所は何か、立脚地を求め9歳で出家なされた。

比叡の山は僧兵―公家社会への影響からか、武力を持って自らを頼みとしていた。万人を救うといいながらそうなっていない現実に、念仏に出遭っていく大切さを知らされた。

どこまでも阿弥陀の力でー自力は条件を選ぶ等して困難、万人にははたらかないと知る。

太陽の光の如く、条件を付けず何処までも仏様の力で、聞法によって自分の姿が知らされていく。自分の根性で救われていくのが善人であり、悪の自覚とは、頭を下げるのではなく、(自ずから)頭が下がることであるといえましょう。

山を下りた後は、法然上人の下で選択集の書写を許されたりしたが、程なくして法難、流罪となり非僧非俗の身となる。

流罪が赦され、法然上人があと5年位生きておられたら浄土宗の中に埋もれ、親鸞様は世に出ることはなかったかもしれない。

関東に住まわれていた頃、山伏弁円に襲われるも、心の昏さを知らされた弁円は親鸞聖人のお弟子、明法坊となる。心の昏さは生活の便利になった現代にもあり、却って深くなっているかもしれない。弁円は私の姿ではなかろうか。

62,3歳頃、京都に戻られ、和讃を著される。80歳過ぎて息子の善鸞様を義絶されたときの悲しみ、弥陀の本願信ずべし(聖典500)、ここに立ち返ることの大切さが知らされてくる。