知る

第5期讃頌会研修会(2010年10月から2011年1月まで)の報告

第1回(2010年10月26日)

出席者
29名
主な内容
1206年、興福寺の念仏停止の訴えにより、1207年、専修念仏停止の院宣が下りました。それにより、法然門下の者は死罪、流罪となりました。聖人は越後へと流罪になりました。
また聖人は、幾度となく名を変えておられます。当時は親から名を一字もらうのがきまりであり範宴と名のっておられました。 法然門下に入ってからは、上人から綽空ー余程上人から信頼されていたと思われます。 更に夢のお告げから、善信ー確かなことが夢となって表れるのが当時の中世の考え方でした。
感想
聖人の生涯に学ぶ研修もいよいよ佳境に入りました。法然上人と別れ、越後や関東の人々との暮らしの中で、教えがどう深まっていくか、今後楽しみな展開です。

第2回(2010年11月24日)

今年度の讃頌会研修は、昨年に引き続き「親鸞聖人の生涯に学ぶ」という年間テーマのもと、高山教区の四衢亮先生を講師にむかえ実施されています。

今年度第2回目の研修会は、11月24日(水)午後2時から東別院内の教務所・議事堂において約20人の参加者を得て行われました。

今回の研修会では、冒頭に東本願寺作成の『親鸞への道』という学習用アニメを鑑賞したあと講義が行なわれました。

今回は「善鸞事件 -宗教の落とし穴-」というテーマで講義が行なわれた。

最初に『恵信尼消息』で語られる佐貫(群馬県)での、地震・干ばつ・洪水により疲弊している村の惨状を打開すべく、『三部経』千回読誦することを思いたつものの、途中で止めてしまい、親鸞自身の自力心の強さを反省したエピソードを紹介されました。

次に、親鸞が京都へ帰ってしまい混乱した関東へ、実の息子である善鸞を遣わすものの、善鸞が親鸞聖人の意に反した教えを流布しようとして、混乱は収まるどころか一層混乱が深まることとなり、結果的に息子善鸞を義絶せざるをえなくなった事件を紹介され、二つの出来事から親鸞聖人の苦悩を学ぶとともに、宗教がもつ危険性を確認する内容の学習が行なわれた。


第3回(2011年1月19日)

親鸞聖人の七百五十回忌も間近となりまして、第1回「親鸞の名のり」、第2回「善鸞」、讃頌会として学んできました親鸞聖人のご生涯も、最後の講義「無碍の一道」でした。

1月19日(水)午後2時より2時間にわたり教務所議事堂で36名の方の出席が有りました。

無碍道とは、自他ともに仏陀の道を歩むことにおいて語られている言葉であり。如来から明らかにされる道であり、人間が開発開拓してく道ということではなく、往生の道を歩むことについてあらゆることが障りとならないということでした。

親鸞聖人の歩みを通して、現代に生きる私たちにとってどういう意味をもつのか。自分自身の身に引き付けて考えさせられる講義でした。