法話:いまを生きる

いまを生きる
理相寺 釋 俊明(佐々木俊明)

仏の教えでは、地獄や餓鬼や畜生やそうしたほかの世界にではなく、人間として生まれたことをよろこび、そして、その生まれがどうであろうと、その人間として業として人は尊いのであるとされています。一人の人間として誕生して、時の流れの中に明日へ希望をもって生きようとするところに、今日の人生があります。

人生は夢にもたとえられます。すべてが夢であった、夢にすぎない、もっとも確実なことは、やがて死すべきものということです。私たちは夢からめざめ、さとり、自覚せねばなりません。人間の命は限りあるものであり、人生とは「生・老・病・死」の根源的な苦しみをにない、さけることができないものであるとされています。人と人とのめぐりあいを喜び、さまざまなはたらきをなそうとも一人の人生は孤独にあります。経典には「我ら、生きとし、生くる者、時至り生命尽きなば、独り去り、独り別れ、独り行き、独り死す、まこと無情迅速にして、夢のごとく、幻のごとく、長からんと願いし人生も、顧みれば、一朝の草露のごとし」とあります。

人生がはかない美しい夢であろうとも、あるいは最上のよろこびであろうとも、たしかなことは、私たち生老病死の根源的苦しみの上に、さまざま悩みつつ、問題をもちつつ生きているという事実です。「いまいのちあるは尊し」の人生を決して絶望や死に至らしめてはなりません。現在の社会環境の中に、精一杯、身をつくして、生き生きと心を輝かせ、三宝「仏・法・僧」に帰依し、お念仏を相続し、如来の大悲を讃仰して人生荘厳(しょうごん)の歩みを進めることが大切です。