真面目に努力すれば報われるか? 法光寺 釋 慧通(島津通) |
「人生真面目に努力すれば、必ず報われますよね」「ズルイ人や悪いことをした人には、いつか必ずバチがあたりますよ」…皆さんからよく聞く言葉です。
でもいつもそうなっているとは限らないし、考えてみると、そうなっていないケースの方が多いような気すらします。むしろ、私たちは「いい事すれば報われるし、悪いことをすればバチが当たる」と思いたいのです。その気持ちはよく分かります。
しかし、そのようになるのなら、宗教はいらないのではないでしょうか。
「あんないい人がなぜこんな目に?」「あんないい加減なことをやっているのに、うまくいくなんて」なんて人生は不条理なんだろうというところから宗教は出発します。
憤慨したり、落ち込んだりしたあとに、「なぜなんだろう?」「いい人とは、いい事とはどういうことなんだろう」「こんな目というがどんな目なんだろう」…と疑問が浮かび上がってきます。その中で今までの自分の考えや世の中の見方が変わってくるということが起きます。
自分の価値観や自前の処世観が通用しない現実にぶつかったとき、悩みを通してより深いものが見えてくるのです。
金子大栄という先生が「人生は長さだけではない。幅もあれば、深さもある」といっておられますが、人生の長さは主に健康に、幅は社会や経済に関わるとすれば、深さに関わるのが宗教です。思うようにならない人生を嘆く私が、人生から自分の「思うよう」を問い返されていることに気が付く。人生を問うていた私が、人生に問われていたことに気が付く。その展開が宗教なのです。
最後に金子先生の言葉をもう一つ。「求めよさらば与えられんという、なるほどそのとおりである。ただし、求めたものと与えられたものは違うぞ」