質問への回答
年忌法要は何回忌まで勤めたらいいでしょうか?よくトイアゲということを聞きますが...
トイアゲとは弔い上げ(とむらいあげ)という語がなまったものです。
さて、真宗門徒は2011年に宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌を迎えます。また10年ほど前には本願寺八代目の蓮如上人五百回忌を勤修いたしました。蓮如上人に限らず、本願寺御歴代の年忌法要はそのつど勤修されています。毎月の御命日、毎年の祥月命日も荘厳を整えて勤行をいたします。
そうした法要に準じて、各末寺でも年忌・月忌の法要が勤まり、宗祖の御命日は報恩講として毎年門徒主催として勤修されています。そして各家庭でも、寺院の法要に準じて、先祖代々の命日の法要が勤められていることと存じます。したがって、先祖の百回忌、二百回忌が勤められてもおかしくはありません。宗祖の御命日を報恩講として勤めるように、私たちの法事もまた報恩の集いであり、私たちの勝手な都合で「ここでおしまい」という打ち切りをすることではありません。
宗祖は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」(歎異抄、真宗聖典p.628)とおっしゃっておられます。私たちは真宗門徒としての伝統の営みとして報恩の法事を迎えることを考えるべきでしょう。いずれも聞法の集いとして法事を勤めるということです。個人の自由で好き勝手にしていながら、生きる空しさが覆っているという風潮はありませんか。一日一日のの勤行の積み重ねが年忌法要です。
結論として申せば、真宗にはトイアゲは存在しない、ということです。
ただ、実際問題として、各家庭の事情はさまざまです。遠い先祖のことは分からない、法事を勤めたくても病気療養などの事情でできない、仕事が休めない、などなど。年忌法要はできる範囲で勤めるのがよいのですが、○○回忌までは必ず勤めなくてはならない、とか、逆に、○○回忌以後は勤める必要がない、というものではありません。また、年忌法要というと必ず親戚を集めなくてはならないということはありませんので、身内の者だけでも法事を勤めることは大切なことと思います。