質問への回答
真宗のお寺には、観光寺院として有名なところが少ないようですが、どうしてでしょうか。
「真宗門徒質問帳1 こんなことが聞きたかった」(山本隆著、法蔵館)に、次のような説明があります。
「日本に仏教が伝来して、朝廷や豪族によって各地に寺院が建立されました。こうしたお寺は、国家鎮護を目的としたり権力者が自身の繁栄を祈願したり、自分達の祖先の菩提を弔う為の寺でした。現在の奈良や京都をはじめとする各地の有名なお寺は、こうして造られ維持されてきました。今日私達は、文化財として或いは観光資源として接しています。
これに対して真宗の寺院は、権力者によって造られたのではなく、その土地の人々がお念仏の教えを聞くための道場として建てられたのです。
お念仏の教えを聞く場を造ろうという願いと、後に生まれてくる者にもしっかりと教えを聞いてほしい、間違いのない人生を送ってほしいと願われて建てられたのです。
お念仏を聞くことがなくなれば、それは空虚なガランドウになってしまうのです。」
私のお寺は、以前「説教所」と称していました。そこでは葬儀法要はもとより、終戦時には焼失した小学校の代わりになったり、子供達の学習の場になったり、落語や琵琶の演奏会等の娯楽や、時には地元の議会議員の演説会場にもなりました。お念仏を聞くための道場は、観光資源として崇める場所ではなく、人々自らが集う場所でありました。
自らが集うことにより、底に流れるお念仏の教えに知らず知らずに触れていった歴史があります。
真宗のお寺に参ることは、お念仏の教えに出遭ってほしい、お念仏の教えを聞き続けてほしいという願いが足を向けさせているのではなかろうかと思います。
回答者:晃照寺 釋 功信(八神功信)