学ぶ・考える

人権を考える

名古屋教区第30組
第2期第5回「人権問題」学習
2007年5月26日
真宗大谷派解放運動推進本部・訓覇 浩

真の「らい予防法」廃止に向けて
-「救済の客体」から「解放の主体」へ-


1. はじめに

(1)視座の確かめ

・「あなたはどう変わったのですか?」という一言
・何も変わらない現実のもつ重さ

(2)ハンセン病問題の現状

・熊本温泉ホテル宿泊拒否問題

(3)ハンセン病という病気

・「病とは別のもうひとつの苦しみ」

2. 絶対隔離政策がもたらした被害

(1)証言

(2)近代日本のハンセン病政策

・法律第十一号「癩予防ニ関スル件」制定=1907年
・「癩予防法」(旧法)制定=1931年
・「らい予防法」(新法)の制定=1953年

(3)絶対隔離政策がもたらした被害

・断種堕胎・園名の強要、無癩県運動

3. 真宗大谷派とハンセン病問題

(1)宗教とハンセン病問題

・ハンセン病療養所と宗教
・私立ハンセン病療養所

(2)真宗大谷派とハンセン病問題

・「慰安教化」のはじまり
・隔離政策への協力

(3)宗教的救癩意識

・「慰安教化」の内実
・「被害」と語られない被害
・隔離の「受容」の植え付け

4. 真の「らい予防法」廃止に向けて

(1)「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟という闘い

・何を取り戻す闘いか
・真の「らい予防法」廃止とは→決して水に流すことではない
・隔離政策を救癩政策と見ることとの決別

(2)ハンセン病療養所将来構想問題への取り組み

(3)「救済の客体」から「解放の主体へ」

・「救済」観の問い直し
・見失ってきた「一人」の発見→「独尊」の頷き

ハンセン病隔離政策と宗教 資料

  1. 国立の癩病患者収容所は此程東京府下に新設せられたる事なるが、世に最も憐れむべき境遇に在る此等の患者に対し、如来の慈光に浴せしめ、慰安を与ふるの必要を認め、当局者より本山へ交渉ありしかば東京養育院蓮岡教師は、献身進んでこれが担当する事となりたり、彼の天平の頃、 光明皇后の垂救の慈懐の事など偲ばれて尊し。
    (『宗報』真宗大谷派、1910 年 2 月号)
  2. 徹頭徹尾 、絶対の信仰 に依って安住せしめねばならぬ。夢々、方便假説を以て迷信的療病の難行を強いるべからずである
    假令、穢身は一廓に檻禁されて居ても、霊は光明ある宇宙の法界涯に逍遥して法喜悦予窮り
    (『救済』第 3 編第 4 号)
  3. 禽獣に等しい 、否、禽獣よりも尚ほ哀れな心的情態に陥ってしまうやうである。是に至って、此種の 癩患者の前には、森厳なる法律も、淳厚なる道徳も、高崇なる宗教も、更に何等の権威が無い。
    (『警察画報』1 巻 3 号)
  4. 癩患者は、いち早く 癩を自覚すれば 、あるや無しやのこの世、善導大師の到る処愁嘆の声のみの六道流転の夢より始めてさめたる心地に、魔境停るべからずとなし、癩絶滅のため皇国のため、人類の幸福のため、雄々しくもたヾひとり療養所の門をたヽたけば、何等の後顧の憂ひ無く、家族に伝染せしむる事なく、血統は永遠に清められ、九族は一層にさかえるのである。
    (『癩絶滅と大谷派光明会』大谷派光明会1931年)
  5. 何が故にわれ等は、この人生悲痛中の悲痛たる 癩の悩みより 救われむとするか、これ社会や国家や他人のためや、自己自身の利害のためにするのではない。大慈悲のためである。永遠の理想生命のためである。われ等の全生命のために、悲しむべきを悲しむのである。
    (『癩絶滅と大谷派光明会』大谷派光明会1931年)
  6. 私共病者 の心理をご理解下さらぬ人々は「天刑病者よ、血統病者よ、只何事も運命と諦めろ」と教へて下さいますが、 私共病者 自身には仲々そう容易に諦め切れぬ悩みが有ります、凡夫の悲しみで御座います。
    然し幸ひにも近頃貴会の如き有力なる団体が患者心理を掴んで其処より真に深いご同情とご理解とを以ってご活動下さる事は今迄暗澹たる 私共病者 の前途に一道の光明を与へたれる事と深く喜び亦力強く思ふて感謝致して居ります。
    (『真宗』1932 年 3 月号)
  7. 皆さんは自負分がわるくて病気になったのではないのだが、国家のために、多くの同胞のために、ここに家を離れて病気を保養してをるのである。
    皆さんが 静かにここにをらるる ことがそのまま沢山の人を助けることになり、国家のためになります。だから皆さんが病気と戦うてそれを超越してゆかれることは、兵隊さんが戦場に働いておるのと変らぬ報国尽忠のつとめを果すことになるのであります。 皆さんはどうぞこの積極的な意義に目覚めて元気よくおくらしになるやうに念じます。
    (暁烏敏『愛生』6 号1936 年)