法話:「百歳」
「百歳」 常念寺 釋 義暁(篠田茂) |
先日、満百歳の方が亡くなられ、お葬式をしました。最後の二年間は寝たきりでした。 家族の方々はとても、大変だったそうです。「ああ百歳か!僕だったらあと55年生きなくてはならないなぁ。」(とても無理!)亡くなられた方は、明治・大正・昭和、そして平成と生きてこられ、戦前・戦後の厳しい時代を生き抜いてこられたわけで、さぞ大変だったこととお察しします。もっとも、当の本人は、まさか百歳まで生きられるなんて、思ってはいなかったでしょうが。しかし、人はいつか死を迎えるわけであります。それが何時なのかは、わかりません。今、日本の平均寿命は、世界一だそうですね(あくまでも、統計上)。 先日、敬老の日(9月の第三月曜日)がありましたが、百歳以上が二万人を超えたそうです(ちょっとびっり)。
私たちは、健康で自分のことが出来るなら、何歳まででも、生きたいと望んでいます。しかし現実には、そういうわけにはいきませんね。誰もが一年一年、歳を取って老いていきます。そして、いつか死を迎えるわけであります。それが、五十歳なのか八十歳なのか百歳なのかわかりません。わかりませんが、何時かかならず死は訪れます。だから、わたしたちは今日一日を一生懸命生きられれば、それでいいのです。
わたしは、この百歳で亡くなられた方に「ご苦労さま」(南無阿弥陀仏)と言いたい。そして「いのち」は自分で自由にできるものではなく、与えられているものです。だから、「ありがとう」(南無阿弥陀仏)と言える、毎日を送りたいです。