学ぶ・考える

法話:聞信こそ、人生の目標なり

聞信こそ、人生の目標なり
晃照寺 釋 功信(八神功信)

蓮如上人は御一代記聞書の中で、

「仏法に厭足(えんそく)なければ、法の不思議をきく」(東本願寺真宗聖典P897)

と著されました。仏法には厭足(飽き足りること)はないので、どこまでも聞いてみたくなる、知りたくなるとあります。少しでも興味を引いたことなら、人に問うなり調べるなりしてもっともっと知りたくなります。

夏が過ぎ、秋風が吹く頃になると外出する際、少なくなった私の頭髪は風と共に抜け去っていくような気がします。 坊さんなので、頭髪などなくても構わないかもしれませんが、ある時 「舶来のいい育毛剤がある。」と言われ、それはどんなものかと興味が湧き、尋ねて用法を調べて、せっせと使うことになりました。 数ヶ月経ったところ周囲から 「最近(髪が)増えましたね。」 と言われ、心なしかにっこり、嬉しくなりました。



聞信の「聞(もん)」は聞く、「信(しん)」はまことの己の姿を表します。飽きることなく己の姿を聞いていく、問い続けていく事が、自らの姿を明らかにしていくことではなかろうかと思います。


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