法話:比べる
比べる 順覚寺 釋 義暁(加藤義彦) |
人間というのは、 ついつい他人と比べてしまう生きもののようです。
自分は、○○さんより優れているとか、 △△さんにはかなわないとか・・・ いつも他人との比較は関心事です。 自分に限らず、家族、子どもなど自分の身の回りの人も、 ついつい自分と同じように、他の家族、他の子と比べてしまいます。
そういえば、少し古いですが、 「世界に一つだけの花」にも、 “~それなのに 僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?~” という歌詞がありました。
また、お釈迦さまも、 他人との比較は、煩悩のひとつであるとして、 「慢(まん)」といわれ、 人間の精神的な苦しみの根源のひとつであるといわれました。
どうも、どんな立派な人でも、 他人との比較はやめられそうにありません。
他人との比較が過ぎると、 高慢になったり、嫉妬深くなったり、卑屈になったりするだけで、 何ひとつ良いことはありません。 そればかりか、知らず識らず、 自分の心も他人の心も傷つけているかもしれません。
どうしても比べたければ、 一年前の自分と比較してみては、いかがでしょうか? 人の歩幅は、一人ひとり違いますし、 歩幅の広い時も、狭い時も、かけ足の時も、 足踏みする時も、快適に歩ける時も、 不快で歩きづらい時もあります。 しかし、確実にいえることは、 誰でも一歩一歩、人生を歩んでいるということです。
こんな思いで暮らせば、 毎日を心煩うことなく生きていけるかもしれません。 とはいうものの、現実には、 そんな心もちでは、暮らしていけません。 それが、「慢」という煩悩なのです。
宗祖親鸞聖人は、
本願力にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて
煩悩の濁水へだてなし(東本願寺真宗聖典P490)
と、おっしゃいました。
阿弥陀さまの本願に出遇えば、 空しく過ぎていく人はありません。 「慢」という煩悩とも、向き合いながら、 明るく朗らかに、毎日を暮らすことができるようになります。