弥陀成仏のこのかたは で始まります浄土和讃の中に
「法身の光輪きわもなく 世の盲冥をてらすなり」
とあります。みのり(法)ー仏様を感じ、みのりによって動かされみのりみずからの身とする仏の身の全体が光となり、限りなく転じ輪を広げ私を照らし出し、いかなるところにも行き渡るとされています。
仏様のおはたらきは光で表されます。光とは闇を照らし出すものです。
また一念多念文意という書物の中に、
「この如来(仏様ー阿弥陀如来)は光明なり。光明は智慧なり。智慧はひかりのかたちなり。智慧またかたちなければ、不可思議光仏ともうすなり。この如来、十方微塵世界にみちみちたまえるがゆえに、無辺光仏ともうす。」
とありますように、光を当てずにはおれないもので、闇が口を利けるならば、油断や隙を与えない眩しくてよけいなお世話ともいえるものでしょう。
過日、自動車で走行中に一時停止の標識を見落としました。運悪く警邏中の警官に呼び止められ、罰金を支払うことになりました。
いくら標識とはいえ別段事故を起こしたわけではないのに、という私の心の闇が照らし出されました。たまたま運が悪かっただけだよ、と自分を慰める心の闇が照らし出されました。こっちは急いでいるのに呼び止めて、お金まで払わされるのかと憤る心の闇が照らし出されました。
仏様の光は都合の悪いことは照らし出して欲しくない私の心の闇をどこまでも照らし出そうとします。