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- 比べるな 弥陀からみれば みな同じ2(2020年12月)→解説を読む
- 比べるな 弥陀からみれば みな同じ(2019年12月)→解説を読む
- 自分が融けてゆけば 相手も融けてゆく(2018年12月)→解説を読む
- 往生とは、開かれてきた精神生活である(2017年12月)→解説を読む
- 茄子の花は、大方下を向いて慎ましく咲いている。そして千に一つの無駄花はない。(2017年5月)→解説を読む
- 手や足の汚れを洗う人あれど 心の垢を落とす人なし(2017年3月)→解説を読む
- ものの始めを聞くことが、一番大切である(2017年1月)→解説を読む
- 浄土は この世から はじまる(2016年12月)→解説を読む
- 下農は雑草を作り、中農は作物をつくり、上農は土を作る(2016年10月) →解説を読む
- われは悪しと思う人なし 蓮如上人(2016年7月)→解説を読む
- 外に悪人がいるのではなく、悪人と決める心が私にある(2016年5月)→解説を読む
- この世を穢くしたのは、各自各自の責任である(2016年3月)→解説を読む
- この身体は歴史的なものであり、大切なものである(2016年1月)→解説を読む
- はからいが、自分を孤独ならしめる(2015年11月)→解説を読む
- 幸福な人、不幸な人、そんな区別なんぞ、はじめから、ない(2015年9月)→解説を読む
- 土の中の水道管、ビルの中の下水管、大事なのものは表に出ない(2015年7月)→解説を読む
- 降ってよし晴れてよし なくてよしあってよし 生きてよし死んでよし 自然のまま(2015年5月)→解説を読む
- ひげがのびる、爪がのびる、生きている証拠、いや生かされている証拠(2015年3月)→解説を読む
- 夜が明けた 新しいいのち 今日もたまわる(2015年1月)→解説を読む
- 人の一生は、仏(真実に生きる人)になっていく過程である(2014年11月)→解説を読む
- どんなことがらも、一日一日の積み重ねから生まれたものです(2014年9月)→解説を読む
- 自分が融(と)けてゆけば、相手も融けてゆく(2014年7月)→解説を読む
- 自然と人間とは一体である(2014年5月)→解説を読む
- 煩悩を とらえてみれば わが身なり(2014年3月)→解説を読む
- 歴史とは つくるものではなく 感得するものである(2014年1月)→解説を読む
- 愚痴にかえねば、仏に帰することはできない(2013年11月)→解説を読む
- 今日 自分のあるゆえんは 一朝一夕のものではない(曾我量深)(2013年9月)→解説を読む
- 個人的なことは大きくはなやかであるが、幻にすぎない(2013年7月)→解説を読む
- 底知れぬ如来の大慈悲信の中に、自分の罪悪を感じる(2013年5月)→解説を読む
- 自分を立てようとすれば、相手もまた自分を立てようとする(2013年3月)→解説を読む
- 道を求め 教えを求める心が聞くのです(2013年1月)→解説を読む
- はからいが 自分を孤独ならしめる(2012年12月)→解説を読む
- われは悪しと思う人なし これ聖人の御罰なり(2012年10月)→解説を読む
- 南無阿弥陀仏は、人生における出発駅であり、終着駅である (曾我量深)(2012年8月)→解説を読む
- 道が違うと 永遠に遇えない(2012年6月)→解説を読む
- どんなときでも 安心という境界がある(2012年5月)→解説を読む
- どこへむかって、この人生を歩もうとするのか(2012年3月)→解説を読む
- 人生における苦悩は すべて如来の激励(はげまし)である 曾我量深(2012年2月)→解説を読む
- 苦労しても、その跡の見えない人の床しさ(2012年1月)→解説を読む
- 実がいると稲はうつむく 人は身が重くなるほど、のし上がるなり(2011年10月)→解説を読む
- 大きな願いに生かされていながら、小さな欲望を生きている(2011年9月)→解説を読む
- 期待をするから、当てが外れる(2011年8月)→解説を読む
- 仏道とは 目覚めた人の説かれた 人間になる道のことです(2011年7月)→解説を読む
- 勝手な願いをかなえてくる神仏は、ない(2011年6月)→解説を読む
- ことばで迷い、ことばで傷つき、ことばで救われる(2011年5月)→解説を読む
- 生きがいとは自分の思いが満たされることではなく、どんなこともおかげさまといただけることです(2011年4月)→解説を読む
- 善人とは たかあがりの姿である(2011年3月)→解説を読む
- 迷惑をかけていても、それに気付かない これを鈍感という(2011年2月)→解説を読む
- 人間の回復、それは自然を大切にし合うことから始まる(2011年1月)→解説を読む
- 人が羨ましい時は、自分の心が貧しい時です(2010年12月)→解説を読む
- 今日 自分あるゆえんは 一朝一夕のものではない(2010年11月)→解説を読む
- 対話の第一歩は、相手の意見を聞くことです(2010年10月)→解説を読む
- 底知れぬ如来の大悲心の中に 自分の罪悪を感ずる(2010年9月)→解説を読む
- はからいが 自分を孤独ならしめる(2010年8月)→解説を読む
- 本願の歴史の中に 自分を見出す(2010年6月)→解説を読む
- 煩悩を とらえてみれば 我が身なり(2010年5月)→解説を読む
- 一人(いちにん)のよろこびが 一切人のよろこびである(2010年4月)→解説を読む
- 誰にでも頭の下げられる信心が 他力信心である(2010年3月)→解説を読む
- 如来に信ぜられて 如来を信ずることができる(2010年2月)→解説を読む
- 自然と人間とは一体(身土不二)であることを忘れた民族と文化は 亡びていく(2010年1月)→解説を読む
- 個人的なものは大きくはなやかであるが 幻にすぎない(2009年12月)→解説を読む
- 宿業の生活をするものを 凡夫という(2009年10月)→解説を読む
- 歴史はつくるものではなく 感得するものである(2009年9月)→解説を読む
- この身は歴史的なものである 大切なものである(2009年8月)→解説を読む
- 我々は 宿業を通してのみ 仏を知ることができる(2009年7月)→解説を読む
- 聞とは 善智識の言葉を縁として 心が開けたことをいう(2009年6月)→解説を読む
- 仏の本願 それは いたみのない私をいたんで下さる(2009年5月)→解説を読む
- 老人とは 顔に皺がよった人ではなく 心に皺がよった人(2009年4月)→解説を読む
- 人生の苦悩は お育てくださるための ご縁です(2009年3月)→解説を読む
- 人格者とは 謙虚な人のことをいう(2009年2月)→解説を読む
- 仏の願いを聞けば 空しさを超えられる(2009年1月)→解説を読む
- 不足不満 それは不信による(2008年11月)→解説を読む
- 拝まぬ者も拝まれている 拝まぬ時も拝まれている(2008年10月)→解説を読む
- 一寸先は闇、その闇は私の中にありました(2008年8月)→解説を読む
- 転迷開悟は、なるほどなるほどとうなづくこと (曽我量深) (2008年7月) →解説を読む
- 子は 親の言う通りにはしないが する通りにはする(2008年6月)→解説を読む
- 人のふり見て、わがふりに気づく (2008年5月)→解説を読む
- 仏の光によって、愚痴の身を気づかされる (2008年4月)→解説を読む
- 外に悪人がいるのではなく、悪人と決める心が私にある (2008年3月)→解説を読む
- 花が咲く 花が散る どちらもまったく静かだ (2008年2月)→解説を読む
- 救われ難きは 理知分別の 自覚なきによる (2008年1月)→解説を読む
- 仏の願いを聞くとき、人生は深められる (2007年12月)→解説を読む
- 比較する心は 善悪の差別を生む (2007年11月)→解説を読む
- 人間は 共感の世界を求め続ける存在である (2007年10月)→解説を読む
- 過去に目を閉ざす者は、現在において盲目となる (2007年8月)→解説を読む
- ああ おかげさまだなあ
寝たり起きたり 泣いたり笑ったり
怒ったり 喜んだり
ああ おかげさまだなあ (2007年4月)→解説を読む
- 光をわが身一杯に受けた人よ その人は罪の深さをいたまずにおれない (2007年3月)→解説を読む
- 聞信こそ 人生の 目標なり (2007年2月)→解説を読む
- 私は 愚かもの、いや、愚かを知らない愚かもの (2007年1月)→解説を読む
- 人間とは 真の生きがい これを求め続ける存在である (2006年12月)→解説を読む