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拝まぬ物も拝まれている 拝まぬ時も拝まれている
佛説無量寿経の中に

「身自当之 無有代者(身、自ら之に当たる 代わる者有ること無し)」
とあります。
休みなしに願ってくれるその願いが仏様であって、信じさせてもらった時、頭が挙げられないようになっていた。どうかしっかり生きてくれよ、生きることを粗末にしないでくれよと一人一人が願われているのではないかと思います。
 

願いを表すものの一つに姓名があります。
 親鸞聖人が著された「教行信証 化身土の巻」に
 

「禿」の字をもって姓となす
 とあります。
 姓名の姓をいのちの歴史、血筋と受け止められて、「禿」の字をもって姓とした人々の歴史に自らも生きることを名告り、自らも歩みを進めることを名告り、自覚を著されておられるのではないでしょうか。

 

先日ある縁があって、姓名鑑定なるものに初めて行きました。
鑑定士の方が私の名前の画数をさささっと数えた後、鑑定結果で
「貴方は、人に頼まれると断りづらいでしょう。」
「貴方は、優柔不断な面がありますね。」
と言われました。初対面なのに何故解かるのかと驚き、感心しました。後で私が僧職と知って
「まぁ、大雑把なものですから。」
と謙遜されました。

 ただの文字ではなく、自分自身のいのちのはたらきをもったものが姓名なのだと実感しました。
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