この身は歴史的なものであります。時に歴史というと父母を縁として、父母はその又父母を縁として仏法により知らされた我が身があります。
父母が社会業績等で偉大な場合、比べられる我が身を省みて悲観し過ぎてしまうことがあります。
省みれば省みる程、こんな身で果たしていいのだろうか、往生はできないのではないかと思う人が必ず出てくることを、親鸞聖人は注意されています。
「仏の不思議力をうたがうとがあり。仏いかばかりのちからましますとしりてか、罪悪の身なればすくわれがたしとおもうべき」(聖典923)や
「むなしく身を卑下し、こころをこう弱にして、仏智不思議をうたがうことなかれ。」(同924)と説かれています。
先日、齢99歳で亡くなられた方の葬儀を執り行わせていただくご縁がありました。
周囲の方々は
「99歳? 大往生だったねえ。」
身内の方も
「朝まで、普通に食事しておりましたのに。」とおっしられました。
99年という年月の中で、時には自分は往生できないのではないかと思いながらも、現実と向き合ってこられたご生涯に手を合わせるご縁をいただけて よかったと思いました。