「すべてものは滅んでいく性質のものである。たゆまずに自分の道を忘れずに慎み深く進むがよい。」これが釈尊の最期の言葉だとされています。
昨秋、未だ年端も行かぬ子どもの葬儀では、参列者の全員が涙する悲しみの中でのものでした。
先月の、長く病床にあった高齢者(私の同級生の尊父でもあるのですが。)の葬儀では、一部の近しい身内の方達は涙を見せていましたが、他は静かな
ものでした。
同じ死に接するにあたって、亡くなられた年齢によってかくも違うものかと思いました。
後日勤めさせていただいた忌明けの法要でも、子どもの時は周囲に悲しみに打ちひしがれた感が残っていましたが、高齢者の時はさほど悲しみは感じ
られませんでした。
存在が忘れ去られるのが一番の不幸といわれますが、何れは死を迎える自分、若いうちに死を迎えた方が周囲の悲しみとともに永く記憶に残るのであれば
高齢になって身寄りも知り合いもいなくなってからなくなるよりも幸せなのかと思います。
そのようなことは我が身から出る勝手な願いに外ないのでしようが。
慎み深く歩むーこの言葉を今一度確かめてみたいと思いました。