親鸞聖人が著された和讃に
「源空光明はなたしめ 門徒つねにみせしめき 賢哲愚夫もえらばれず 豪貴鄙賤もへだてなし」(聖典499)とおっしゃられています。
「いずれの行もおよびがたき身」(聖典627)である私には、常に純粋で禁欲的な姿勢を保てる自信がありません。そんな私の身の事実を照らして下さるのが、如来といえるのではないでしょうか。
2週続けて、長年家庭介護の末に亡くなられた方を見送るご縁をいただきました。
共に齢80を過ぎていました。これからは介護される方はもとより、する側も同様に高齢者となります。先だっての組の講習会では、死を受け入れるためには亡
くなる方は勿論のこと、遺された者に対するケアの大切さを知らされました。
遺された方々に寄り添うことのできるのは宗教者であると知らされました。
人間の理性で寄り添い悲しみを克服しようとしても抑えきれるものではなく、悲しみが念仏に変わる時、悲しみを抱えた人間であると知らしめる。
遺された方々に寄り添う一つのヒントをいただいた気がします。