「ああ、もう少し長く生きていてほしかった。せめてこの子たちが働くようになるまではねぇ。」
立て続けにお身内を亡くされた方のお宅へお参りに伺った時に言われました。
「こんな若くして喪主にならないかんとは、憐れだ。喪主なんてせいぜい40、50(歳)位からだろうに。」
とも。
親鸞聖人は、末燈鈔の中で
「目も見えず候う。なにごともみなみなわすれて候ううえに、ひとなどにあきらかにもうすべき身にもあらず候う。」(聖典605)とおっしゃられています。
死は誰にでも平等にやってくるもの、そして未だ若いから、身体が丈夫だから先の事だという期待をあっさり外してやってきます。
人身受け難しー今生きている私が何故生まれてここにいるのか、自分の人生の意味が明らかになるのは今が大事、急げ。
三帰依文の言葉を今一度、噛み締めたいと思います。