親鸞聖人が著された「教行信証」の「総序」の文中に、
「円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。」(聖典149)とあります。
江戸時代の禅僧、仙崖は年寄り六歌仙の中で
愚痴になる 気短になる くどくなる 思いつくこと皆古くなる 聞きともたがる 死にともながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話焼きたがるどれも良い印象は与えませんが、そんな悪が転ぜられていくー一生修学、一生聞法が念仏者の姿であるのなら、愚痴を短気を嘆くばかりでなくその中にこそ 立つ瀬があるのだと受け留めていける智慧を賜っているのだと、いただいていけば良いのだと思います。
また、一年が暮れてまいります。