禅の大家、哲学者の鈴木大拙先生は著書の中で数々の妙好人を取り上げています。中でも加賀の小松に在住した、森ひなという61歳の 女性との出会いが印象的だったようです。
われのちからで でるとはおもうた そうじゃなかったおやちからこの煩悩ありゃこそ、この煩悩に照らされて歩ましてもろうとる。十劫の昔からこの煩悩にかわりはててくださったおやさまも、いまがいまとて この煩悩、見せてもろうては懺悔させてもろうてる。
たりきたりきとおもうていたが おもうたこころが みなじりき
じごくきらひの ごくらくのぞみ のぞむこころも みなじりき
いただいた歴史をいただき自分の歴史を振り返る、誰のおかげでこの身になれたかを知ること、これが浄土真宗といえましょう。
作家で評論家の小林秀雄氏の文に
「人は人に教えようとする言葉に教えられたものは一人もいない。人はただ教えられたという言葉にのみ教えられて いくのである。」とあります。教えようと思いではなく教えの事実こそが肝要といえますまいか。
先だって名古屋の別院で研修会の講師のご縁をいただきました。
「良い話であった。」と「何を言っているか解らなかった。」との感想をいただきました。
喜ぶべきか、懺悔するべきか、我が身の歴史といただくご縁でした。