親鸞聖人は、教行信証、信巻の中で
「如来、一切のために、常に慈父母と作たまえり。当に知るべし、もろもろの衆生は、みなこれ如来の子なり。」(聖典267)父を死なせて王位に就いた阿闍世王が、身体にできた膿によって病になり、やがてお釈迦様の教えを聞くことによって回復し、釈迦を讃える偈とされてい ます。
永代経法会ということがあります。
あるお宅の永代経を勤めて欲しいと、当主がお布施、ご懇志を持って来られました。
「私が親戚一同を代表して、貴方(住職)にお渡ししたので、貴方がお勤めをしていただきたい。」
と申し入れられました。
前住である父と、当主の親戚とは古いつきあいなので、別段父が勤めてもよさそうでしたが、直に頼まれました。
永代経は、亡くなった方々を偲び、心に思い浮かべながらお勤めを共にするものと思いますが、実は先祖のいのちを尊いものとしていただいていくことを
離れては、お勤めは成り立たないものです。
私のいのちは、永代の人々のいのちの歴史をいただいているもの、と改めて思います。