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われは悪しと思う人なし これ聖人の御罰なり

御和讃の中に、

「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし 」(聖典490)
とあります。
煩悩の濁りの中に力を与える、「本」は根本因位、「願」は清浄意欲、「力」ははたらき、足元にある大地を表します。
汽車に乗った時は荷物をすべて汽車に降ろすべきでしょうが、汽車に乗りながらもなおも自分の荷物を抱えて苦しんでいるのが我が身。弥陀の本願に 出遭いながらも、ゆだねようとしないのが我が身なのかもしれません。

数年来、殆ど葬儀が葬儀会館や葬祭場で行われます。祭場に着きますと、職員の方でしょうか、出迎えてくれて、お荷物をお持ちしましょうといわれ ます。当初は遠慮していたのですが、素直に応じることにしました。 逆に自分の荷物を抱えているのが偉くて、人に持たせるのが傲慢ーではなく、見方を替えれば、自分に執着する哀れな存在ということになりましょう。

私は誰の迷惑もかけない、誰の世話にもならないという思いが、却って自分を苦しめる因となるのかと知らされています。

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