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どんなことがらも、一日一日の積み重ねからうまれたものです

一日一日の積み重ね、と思いつつも日々何気なく勤めている勤行ですが。勤行の「勤」はつとめる、はげみ、続ける。「行」は阿弥陀如来の生活の南無 阿弥陀仏。したがって勤行は今までの私の狭い暗い心の生活から抜け出して広くて明るい阿弥陀如来の眼で生活することに他ならないようです。

蓮如上人は御一代記聞書に、

のたまわく、「朝夕『正信偈』『和讃』にて念仏もうすは、往生のたねになるべか、たねにはなるまじか」と、おのおの、坊主に御たずね あり。みな、もうされけるは、「往生のたねになるべし」と、もうしたるひともあり、「往生のたねにはなるまじき」というひともありけるとき 、仰せに「いずれもわろし、『正信偈』『和讃』は衆生の、弥陀如来を一念にたのみまいらせて、往生たすかりもうせ、とのことわりを、あそば されたり。よくききわけて、信心をとりて、ありがたやありがたやと、聖人の御前にてよろこぶことなり」と、くれぐれ、仰せそうろうなり。 (聖典860)
とされています。
そのためには自分を変革すること、勤行は師の言葉をわが身に受け止め味わう営みといえましょう。

毎年、名古屋別院の定例法話のご縁をいただいておりますが、今年は台風接近により中止になりました。ご縁をいただけなかったのです。
これも長い営みの一つととらえていいものか、準備をしてきたのに残念としたものか、風雨の中、行かなくてよかったとほっとしたととらえるべきか。
様々な気分が生じるわが身が照らし出されました。

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