蓮如上人御一代記聞書に、
「よきことをしたるが、わろきことあり。わろき事をしたるが、よき事あり。よき事をしても、われは法儀に付きて よき事をしたると思い、われ、と云う事あれば、わろきなり。あしき事をしても、心中をひるがえし、本願に帰するは、わろき事を したるが、よき道理になる」由、仰せられ候う。しかれば、蓮如上人は、「まいらせ心がわろき」と、仰せらるると云々(聖典889)</BLOCKQUOTE> とあります。
いかにして、まいらせ心を、われ、を破るかであります。
われ、という思いに立って、われ、という思いに執着するのです。昨秋のことですが、内海(愛知県南知多)にみかん狩に参りました。台風やら長雨やらでみかんの木を育てるのに大変なご苦労があったのでは、と農園 の方に尋ねますと、地面にビニールを敷き詰めて根が水を吸わせないようにしています。そうすれば水分を補おうと、みかんは甘くなります。ただ、その分、 木は傷みますが、と仰られました。
木々が、わが身を削って私に与えてくれた恵をいただいているわけです。
いただくばかりであるのに、われを立て、文句を言うばかりの私であります。今年も暮れていきます。