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子は 親の言う通りにはしないが する通りにはする

親鸞聖人は我が力で如来と私達の世界を区別だてようとすることを
「自力のはからい」
とおっしゃっています。血脈文集の中に

「義というははからうことばなり。行者のはからいは自力なれば、義というなり。他力は、本願を信楽して往生必定なるゆえに、さらに義なしとなり。しかれば、わが身のわるければいかでか如来むかえたまわんとおもうべからず。凡夫はもとより煩悩具足したるゆえに、わるきものとおもうべし。また、わがこころよければ往生すべしとおもうべからず。自力の御はからいにては真実の報土へうまるべからざるなり。」

境界は、如来によってたつのです。如来の存在が境界線となるのです。

子を言う通りにさせようとするのは自力のはからい、する通りにする姿が如来の力が子を通して照らされた我が身の姿といえるのではないでしょうか。

耐震対策で、自坊の屋根の修復が始まりました。施工当初は2週間で完成するとのことでした。ところが2週間経っても終わる気配なく更に1週間、更にもう1週間と続きました。
「約束が違う」
と思いました。

必ずしも予定通りに進むとは限らないのが世の常、修復工事に伴う砂埃の片付け清掃を面倒がる我が身が
「約束が違う」
と主張する後ろに見え隠れしていました。

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