親鸞聖人は御和讃の中で、
「南無阿弥陀仏をとなうれば この世に利益きわもなし 流転輪廻のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ 」(聖典487)と詠まれました。我が身一瞬一瞬のいのちに、無限の功徳の恵みを受けていることを知らせていただき、我が身を如来にうちまかせていくことにより 、人生のすべてを受け止めてくださることの喜びが著わされています。
先だって親戚筋の葬儀がありました。
死因は交通事故、即死だったようですが、現場を見た者は誰もいなかったのです。唐突というか、あっけないというか。「死」について改めて考えさせ
られました。
「死」は遠い先にあるものでなく、徐々にやってくるものでもない、常に目の前にあるのだと再認識させられました。
日常の一瞬一瞬にいのちをいただいているのだなと問い直すご縁でした。