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仏塔

仏塔はサンスクリットでストゥーパ(st・pa)といい、釈尊の御遺骨(仏舎利)を収めた墳墓が原型である。ストゥーパを漢字で音写したのが卒塔婆で、後に塔婆、あるいは単に塔と略されるようになった。各地でさまざまな様式が生み出され、日本では五重塔や三重塔としておなじみになっている。日本で墓の脇に立てる塔の形をした木片を卒塔婆というのは、仏塔を簡略化したことに由来する。

タイの仏塔

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2008年12月 撮影:釋眞弌

ワット・プラ・マハータート(アユタヤ)

アユタヤ王朝の第二代王(第三代との説も)よって建てられたとされている寺院。ビルマ軍によって破壊されたため、現在はレンガ積みの仏塔、頭部を落とされた仏像、そして木の根に取り囲まれてしまった仏像の頭部のみが残されている。ここだけでなく、アユタヤの仏教建造物の多くは劣化がはげしく、レンガが崩れたり、塔が傾いたりしている。しかし修復には多大な金と時間がかかるので、劣化をくいとめるのに精いっぱいである。


スリヨータイ妃塔 (アユタヤ)

1548年のビルマとの戦いで、王である夫の危機を救おうと勇敢に戦って死んだ王妃スリヨタイを称えて建てられた。


ワット・ヤイ・チャイモンコン(アユタヤ)

1952年に、アユタヤ王朝19代目のナレースワン王が、象の背中に乗ってビルマの副王と戦って勝った記念に建てた仏塔。なお、この仏塔はピサの斜塔のように若干傾いていて、修復は不可能とのこと。


ワット・プラ・シー・サンペット(アユタヤ)

アユタヤ王朝の守護寺院。1491年に建立された。ここもビルマ軍によって徹底的に破壊され、セイロン様式の仏塔に三人の王の遺骨が収められた三基の仏塔が並ぶだけ。


ワット・プラケオ(バンコク)

本堂にエメラルド仏(実際は翡翠)を本尊として安置していることからエメラルド寺院とも呼ばれる。正式名称はワット・シーラッタナーサーサダーラーム。バンコク王朝の創始者ラーマ1世によって建てられた。王室専用寺院であるため、僧侶はいない。本堂北側に三基の仏塔が並ぶ。西側のプラ・シーラッタナ・チェディは金色に輝くセイロン様式で仏舎利を収めてある。中央のプラ・モンドップは経蔵でタイ様式、東側のプラ・テープビドーンはクメール様式で、ラーマ1世から8世までの彫像を安置している。


プラ・シーラッタナチェディ

三つの様式の仏塔が一列に

プラ・テープビドーン

プラ・モンドップ

ワット・アルン(バンコク)

暁の寺院。この寺院で最も特徴的なトウモロコシのような形をした大仏塔はクメール様式で、高さは75m、台座の周囲は234m(異説あり)。中心の大塔を4つの小塔が取り囲み、須弥山を具現化している。なお、大仏塔には途中まで登ることが出来る。


ワット・トライミット(バンコク)

寺自体は地味だが、ここには純度60パーセントの黄金仏が祀られている。


プラ・パトム・チェディ(ナコンパトム)

バンコクの西約60kmのところに位置し、インドのアショカ王が仏教を布教するため僧侶を派遣し、インドシナ半島で初めて仏塔を建て、最初に仏教が伝来した土地とされてる。ここには高さが127メートルの世界最大の仏塔で有名なプラ・パトム・チェディがある。(2008年12月に私が訪れた時は修復中だったので、参考までにWikipediaの写真を掲載する)