法話:「不思議なご縁」
「不思議なご縁」 浄恩寺 釋 秀幸(中島秀幸) |
7月中旬、30歳になった教え子、A君から連絡が来ました。「母が亡くなりました。」
この教え子は、私が初めて障害児学級の担任になった時に受け持った生徒でした。
その頃は、今のようにスクールランチはなく、お昼のお弁当をみんなで交換し合うのが楽しみでした。A君のお弁当は質素で、飾り気はないものの、お母さんの手作りのものばかりが入っていました。ごま油の香りがする「つくしのきんぴら」。今でも忘れられない味です。リヤカーを引いて古紙回収に回る途中、庄内川の土手で摘んだつくしでした。
お母さんは、中学を卒業すると、郷里の熊本を離れ名古屋に就職、その就職先が浄恩寺と同じ町内の板金工場だったそうです。だから、うちの寺をよく知っていて、その寺の息子、つまり私が担任とわかって喜んでいただけたこともとても印象に残っています。
一方、家庭生活については、とても悩んでみえました。息子は、水頭症の手術の後遺症で手足の麻痺と軽い知的障害を負っていました。ご主人は定職を持たず、お母さんの収入を当てにして放蕩の生活。
A君は、お母さんが亡くなったことをお父さんには知らせませんでした。自分一人で働きながら、お母さんを看病した末の結論だったのでしょう。
「葬儀は大丈夫なのか?」
「葬儀屋さんは頼みました。」
「費用はいくらかかるの?」
「77万かかります。」
「払えるのか?」
「分割にしてもらいます。入院費も分割にしてもらっていますから。」
「いくら?」
「30万残っています。」
「今、給料はいくらだ?」
「18万です。」
こんなやりとりが続き、私は目の前がどんどん暗くなっていくのに、彼は平然と話しました。「そんな金額払えないだろう?先生が、葬儀屋さんと交渉し直すから、任せるか?」
そして、すぐさま葬儀屋に連絡し、事情を説明しました。施主に障害があること。支払い能力がないこと。そして、A君の出身校を告げたとき、救われました。
電話を取ってくれた社員は同じ中学出身、そして、同じ時に、同じ学校にいたことがわかりました。親身になって聞いてくれました。「すぐ社長に連絡します。先生も明日、会社に来て下さい。」
この事情を社長さんも理解してくださり、入院費の残金にも満たない金額で葬儀をつつがなく勤めることができました。感謝の言葉を言い尽くせませんでした。
不思議な縁に導かれ、ご葬儀が勤まりました。「他力の縁」、人の力では計り知れない仏縁が人の心を動かしたといえるのではないでしょうか。