法話:「仏華」
「仏華」 引接寺 釋尼妙房(森房子) |
御門徒さんの家を訪ねた時、机上に小さな5cmあるかないかの小菊が何本か束ねて生けてありました。聞けば、「もったいないし、かわいそうだから供えたあとはいつもこうしている。」とのことでした。物のない室町時代、蓮如上人は「仏法領の物をあだにするかや」(『蓮如上人御一代記聞書』)とおっしゃっています。今は、物どころか人のいのちの尊厳さえ希薄で、「もったいない」も死語になりつつある昨今かと思われます。
ところで、真宗本山での仏華はどうでしょう。池の坊の華道の流れによる普通の生花や盛花、投げ挿しとも違った立花式です。法要により真(芯のこと)は、松、槙、檜、梅、木蓮、南天等と四季折々の樹、そして、色花を挿し交ぜる、まさに自然そのもののお荘厳です。ただし、トゲのあるもの、蔦に咲く花、又、異臭を漂わす花は避け、造花は用いません。大変立派で豪華なお荘厳です。私たちが自然の花を仏華として立てる事は、「共にいただいている<いのち>」を自らに感じさせるためです。それは、仏からの呼びかけのお荘厳といえます。これは、真宗が在家仏教であり、生活そのものが信仰の場であったところからきているのでしょう。
「阿弥陀経」には次のように書かれています。
「池の中の蓮華、大きな車輪のごとし。青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり微妙香潔なり。舎利弗、極楽浄土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。」(東本願寺真宗聖典P.126)
(現代語訳)「池中の蓮華は、大きい車輪のようだ。その上、青色の蓮華には青光、黄色の蓮華には黄光、赤色の蓮華には赤光、白色の蓮華には白光があって、さまざまな色の蓮華はさまざまな色で輝き、さまざまな色に見えている。シャーリプトラよ。極楽国土には、このようにすぐれた性質の荘厳を成就する。」(http://ja.wikisource.org/wiki/仏説阿弥陀経)
春はそこ迄来ています。樹も花も草も芽ふきますが、邪魔になればそれを除く私達がいます。