法話:情報化社会
情報化社会 順覚寺 釋 義暁 (加藤義彦) |
情報化社会とかIT社会と言われるようになってから、年々、時間感覚のスピードが速くなってきています。10年前、20年前、30年前に比べると、世の中の変化の速さ と情報量の多さには目が回ります。
携帯電話やインターネット、衛星データ放送など、身近な情報から世界中の情報まで、ありとあらゆる情報が、何時でもどこでもつぶさに知ることができるようになりました。
これは、一見、便利なようにも思われますが、自分にとって必要な情報は、今も昔もそんなに変わらないので、果たしてどれだけ便利になったかと考えてみると、疑問に思うことがよくあります。
むしろ、知らなくてよいことまで、知ることができるようになって、かえって苦痛すら覚えることもあるように思います。
「酒、人を飲む」と言いますが、差し詰め、現代は便利なはずの携帯電話やインターネットという酒に、人が飲まれている状態のように感じます。
翻って、われわれの暮らしや人生を考えたとき、今も昔も同じだけの時間と手間がかかります。これだけ変化の速い現代でも、人の暮らしや人生は昔のままで、人は機械のように回転を速くするわけにはいきません。
親鸞聖人は、
『念仏者は、無碍の一道なり。』(歎異抄、東本願寺真宗聖典P.629)と、力強くおっしゃいました。
情報化社会を生きるわれわれは、洪水のごとく垂れ流される情報に振りまわされることなく、まどわされることなく生きていきたいものです。