法話:終りからの第一歩
終りからの第一歩
上宮寺 釋 誠道(長谷川誠) |
始めあれば終りあり この終りから また第一歩がはじまる(榎本栄一)
「出会いは、別れの始まり」という言葉があるように、私たちは必ず別れというものを経験しなければなりません。特に愛するものと別れなければいけない苦しみは愛別離苦といい、四苦八苦といわれる苦しみの中で一番辛い苦しみといわれます。
「しゃぼん玉」という童謡があります。これは野口雨情が作詞した歌ですが、この歌詞が作られた背景には、2歳の愛娘の死があるそうです。
「しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉とばそ」
しゃぼん玉とは人間の命のことでしょう。この世に生を受け、屋根まで、つまりある程度のところまで命ながらえて生きることのできる人もいます。しかしながら永遠というわけにはいきません。いつかはこわれて消えるのです。そして2番の歌詞は特に娘のことを思って作ったのでしょう。娘が生まれて、本当に人生のスタートラインに立つかどうかのところで命が消えてしまった。「風、風、吹くな」とは偽らざる願いでしょう。しかし、ひとたび無常の風が吹きぬければ、命はなんともはかなく失われてしまう。その風は私たちの願いとは裏腹に、いつ吹くかもわかりません。私たちの命のはかなさを歌っているのがこの「しゃぼん玉」という童謡です。
この歌の背景を知ったときに、自分にも似た年頃の娘がいますのでなんとも言えない気分になりました。まさに愛別離苦のど真ん中です。出会いがあれば別れがある。始めがあれば終りがある。そんなことは頭でわかっていても、その現実を引き受けることはなかなかできません。ましてや自分の身にそんなことが起ころうとは誰も思っていないでしょう。
清沢満之は「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」との言葉を残しています。私たちは生死する命を生きているのです。死、つまり終りが私の切実な問いとなったとき、はじめて私の人生の意味を求めていく生き方が始まるのです。