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法話:仏縁に出会うこと

仏縁に出会うこと
聖徳寺 釋 哲顕(小笠原哲)

昨年でしたか、ドイツの動物園で生まれた白熊の子供が、親熊の育児放棄により、自然の摂理により安楽死をさせるか、絶滅危惧種ということで動物園側が育てて行くかという論争がありました。結局その報道により動物園は来園者が増え、白熊の子供も人気になり命も助かったそうです。そんな異国の命のほほえましいできごとの反面、親が子を殺し、子が親を殺す、などという悲惨な事件も耳にする最近です。しかし、そういった報道される命だけでなく、私たちの命というのは自分の思うようにはなっていないのが現実です。

生まれてくるのも自分の意思で生まれてきた人はいないのです。
年老いていくのも、病気になるのも、そして死ぬことも、です。

そのようなこともすべて自分の思いどおりになってはいない現実があります。普段の生活の中にも、自分で決めたことだからと思ってみても、そこに決めることも、決めなければいけないことがあったから決めたという現実があり、そうしたことのつみかさねの上に今の自分があるのではないでしょうか。それが「縁」ということでしょう。その「縁」に出会うこと、気づくこと、そのままを受け入れていくことが、阿弥陀さんに出会うということなのではないでしょうか。。


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