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法話:人生における苦悩は、すべて如来の激励である

人生における苦悩は、すべて如来の激励である
晃照寺 釋正信(八神正信)

先天的障害をもった娘さんと生活しておられる老婆がおられます。

彼女は次のように語ってくれました。障害をもって生まれてきた我が子を見たとき、心はまっくらになってしまいました。この子の未来はどうなるのだろうという思いは日増しに深くなっていくばかりでした。いっそのこと、この子と共に死のうと何度思ったかわかりませんが、どうしても死ぬことが出来ませんでした。生活のために行商をはじめ、わずかな収入によってその日暮らしをしておりますが、心の苦悩や不安は休みなくわいてきます。そんなある日、寺の門前を通りかかったとき、掲示板の「人生における苦悩は、すべて如来の激励(はげまし)である。」という言葉に出遇いました。

この言葉がご縁となって聞法がはじまりました。聞けば聞くほど教えのお言葉が身にしみ、深いよろこびとなってくるのです。

そして、この感動を憶念(ふりかえる)せしめられたとき、障害者であるこの娘を授からなかったならば、聞法という道は与えられなかったにちがいないと思えてきました。

私にとって物質的財産というようなものは何一つありませんが、毎日付いてはなれない精神的苦悩・不安こそ、如来より賜わり、聞法させていただけるための最高の財産であったことを深く知らせていただきました。

このように語られた老婆の生きざまは、如来との出遇いなくしては決してできないということを身をもって証明し、教えて下さったよき人(善知識)でした。


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