学ぶ・考える

法話:右往左往している私

右往左往している私
碩善寺 釋 琢也(青木琢也)

子供とリビングでテレビを見ていましたら、『大震災から身を守る』と言う番組が放送されていました。私も興味深く見ていたら、その中で地震の際に持って逃げる持ち物に用意しておくと便利な物は、水、食料、懐中電灯、ラジオに電池、様々あり、中でもびっくりしたのが、サランラップとスリッパでした。サランラップは、食料品を包む事だけだと思っていましたが、骨折した時に包帯の代わりになったり、荷物を固定する際に簡単に固定できたり、スリッパは、枕元に置いておくと逃げる時に足の裏を守ってくれるとの事でした。

それを見ていた子供達が、「家族が多いから、ちゃんと用意してある?水は一人3リットルで、カップ麺やおやつもある?スリッパも今日から置いておこう!」と話していました。

そんな事があって何か月も過ぎたころ、体で感じる地震がありました。

その次の日、月参りに出かけたとき、お勤めが終わり、お茶を頂いている時に昨日の地震の話になりました。

一人暮をされているお婆さんでしたので、水は3リットル必要でサランラップやスリッパを枕元において置くといい事を教えてあげようと思いました。しかしその時お婆さんが、「地震の時に持って出るのは、ご本尊様だけ阿弥陀様だけでいいですか?」と聞いてこられました。

私は、言葉がでませんでした。

続けてお婆さんが、「幼いころ空襲で逃げる時に父親がご本尊様を懐に入れ、私たち子供の手をとり防空壕に逃げた思い出がある」とお話ししてくださいました。

私は、家に帰り、非常食を見たら1つも無く、水も期限切れで、もちろん枕元にスリッパもありませんでした。

お婆さんは、本当に尊い事が、生活に浸み込んでいる生き方、一方、私は、色々な事に振り回され右往左往し、あてにならないものをあてにしている生き方、ということに気づかされました。


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