学ぶ・考える

法話:「思い込みが道を閉ざす」

「思い込みが道を閉ざす」
正覚寺 釋 亮月(佐合亮)

歴史上の出来事の意義、人物への評価、そしてその語られる人物像は、その時代の雰囲気や主流派のイデオロギーが多分に影響することはいうまでもない。
きな臭いと思いつつも、そういった雰囲気や流れに逆らうことは、エネルギーのいることであるし、なかなか面倒なことでもある。

例えば、一宗一派の宗祖の人物像や思想についても同様で、その時代の要請あるいはそれを語る教団の都合により、同じ人物が、朝廷を重んじ国家の為に身を粉にして戦うことを是としたこととなってみたり、時代を先取りした平和主義者で反権力思想の持ち主であったことになったりと、バラバラである。相反するようであるが、それらの突っ込み所の根は一緒であるといえよう。

「思い込みが道を閉ざす」
どこの何宗の寺に掲げてあったのか忘れてしまったが、折に触れ思い起こす言葉である。
そもそもの出発点から、ボタンの掛け違いをしていることはないか。少し視点を変えるなり、 視野を広げるなりすれば、見えてくることがたくさんあるのではないか。
仏教に学ぶ者として、冷静な考察を心がけたいと思うことである。


←前月の法話を読む→次月の法話を読む↑法話目次へ