学ぶ・考える

法話:「目の覚める」

「目の覚める」
上宮寺 釋 顕正(長谷川顕)

春になり暖かくなると眠たくなりませんか。今も昔も、眠たくなるのは変わらないものです。
「お経を聞いていると眠たくなる」という話はよく聞きます。
浄土真宗では用いませんが木魚は読経の調子をとるほかに、眠気覚ましの意味もあるといいます。木魚が魚の形をしているのは、魚にはまぶたがなく眠るときも目を閉じない、そのことから魚は眠らないと信じられていたことに由来するそうです。

『徒然草』の三十九段に、親鸞聖人の師である、法然上人のことが書かれています。

「ある人が法然上人に、「念仏を称えていると眠たくなって修行を怠ることがありますが、どうすればいいのでしょうか?(念仏の時、睡にをかされて行をおこたり侍ること、いかがしてこのさわりをやめ侍らむ)」と尋ねたら、「目の覚めている時に念仏しなさい(目のさめたらむ程念仏し給え)」と答えた。」とあります。

眠たいのを我慢するよりは、ゆっくり休んで目を覚ましてから念仏しなさいという、当たり前のことなのですが、目の覚めるような言葉です。法然上人の柔らかさ人柄がでていると言われています。

夜遅くまで勉強している受験生には体を心配しての言葉に聞こえますが、「勉強すると眠たくなる。」と、言い訳している人には皮肉にも聞こえます。

「目の覚める・目が覚める」とは、眠気がとれる、眠りから目が覚めるという意味のほかに、「大切なことに気づいて目が覚める」といった時にも使われます。

そう考えますと、法然上人の言葉は、眠たくなるのは当たり前のことなのに、念仏することよりも眠気をとることに気をとられ大切なことに気づいていない、「早く目を覚ませよ」と、厳しい励ましの言葉にも聞こえます。

『徒然草』の作者、吉田兼好は「いと尊かりけり」と言っています。


←前月の法話を読む→次月の法話を読む↑法話目次へ