名古屋教区のHPに掲載した拙文ですが、許可を得て再掲載しました。
「癒し系」という言葉を耳にして久しい。この言葉をGoogleで検索してみると、約160万件のサイトがヒットした。実に奇妙な造語だが、どうやら「癒しの特徴、特性を持つ人やものなど」を意味するらしい。音楽、商品、観光地、テレビゲーム、タレント、ウェブサイトなどなど、あらゆるものが、「気分をやわらげる雰囲気」を持ってさえいれば「癒し系」と評されるのだという。こんなにも「癒し」がブームになるということは、私たち自身あるいは私たちの社会が病んでいる、ということを証明しているのではないか。ストレスでボロボロになった身体と心が、悲鳴のごとく癒しを求めるのだろう。たしかに、リラックスしてほっと一息つくことは大切なことに違いない。
しかし、何か変だ。これだけ多くの癒し系○○が出回っているというのに、鬱病になる人が増えている。日本では年間3万人以上が自殺している(2003年は34,427人)。周囲を見わたしてみると、ほんわかした雰囲気はますます薄くなり、とげとげしさがますます支配的になっているように感じられる。そのいっぽうで、マイナスイオンだの波動パワーだの、怪しげな商品が、身体によいといううたい文句で跋扈しはじめている。疑似科学(ニューエイジサイエンス)商法・癒しブームに便乗した詐欺の餌食になっている人が増えている。だまされている自覚さえない人も多い。人間にとってストレスがまったくない状態は不可能でもあるし、望ましいことでもない。ある程度のストレスはあって当たり前、必要でさえある。とはいえ、過重なストレスが社会に満ちあふれているのもたしかだ。自殺や鬱病を心の弱さのせいにすることはできない。限界を超えたストレスが自殺や鬱病の引き金になるとすれば、相応の対策がとられなばならない。癒し系○○がその対策になりうるだろうか、きわめて疑問だ。それは比喩的な意味で対症療法(対ストレス療法)といえるかもしれないが、実質的な意味での治療ではないことを十分知っておく必要がある。
つまり、「癒されたような気がする」というだけであって、偽薬効果としての意味はあるかもしれないが、それ以上ではありえない。虫歯が痛む時、鎮痛剤を飲んで一時的に痛みをおさえても治療にはならないのと同様に、過重なストレスを癒し系○○が解決することはできない。また、心の持ち方を工夫すればよいというものでもない。問題の解決とは、原因の除去である。あなたの悩み・ストレスはあなただけのものだろうか、それとも同じ問題を抱えている人が他にもいるだろうか?身近に相談できる人がいれば相談してみるのもいい。インターネットで検索してみるのもいい。インターネットを積極的に活用してみよう。問題解決に力になってくれる人が必ず見つかるとは限らないが、問題を共有する人はきっと見つかるはず。そこからネットワークを作り出すことができる。もちろん慰め合うのが目的ではない。
「三人寄れば文殊の知恵」だから、ネットワークの力で問題解決の方向を見出すことが可能になると信じたい。
(2005年8月29日脱稿)