12月7日に、東別院会館ホールで「愛知宗教者9条の会」発足のつどいが催されました。たまたま、Yahooのカレンダーでこの集会のことを知り、詳しい内容のことはまったく分かりませんでしたが、教心寺ご門徒さん二人をお誘いして参加してきました。
約100人くらいの参加者でしたでしょうか。大谷派の関係者も大勢いました。私自身は、ほんとうにただの一参加者として、この会がこれから具体的にどのような活動を展開していこうとしているのかはよく分かりません。おそらく、このような市民運動の常として、一人ひとりのメンバーによる自覚的・自発的な動きに支えられていくのだろうと思います。私自身が何ができるのか、それは全く分かりませんが、私は喜んで会員にさせていただきました。
ところで、同日はたまたま「名古屋教区第30組推進員研修・懇親会」もあったのですが、そこで講師の四衢先生が、「最近は生涯学習ブームで、仏教講座への参加者は多いが、組織への参加は敬遠される。束縛されるのが嫌という人が多い」とおっしゃっていました。これは教団の問題だけでなく、市民運動にも同じ傾向があるようです。たしかに、組織に加わることは同時に、人間関係のわずらわしさが伴いますし、時間の拘束もあります。ただ、9条の会というのは、ゆるやかなネットワークです。いやなら出なくてもいい、誰も強制力をもちません。憲法第9条が大切な理念だとお考えの方は、どのような会でもいいですから、ぜひ参加なさっていただきたいと思います。全国各地にさまざまな「○○9条の会」があり、現時点では約2000ほどの会があるそうです。それらの網の目、文字通りネットワークですが、それらが盛り上がってくることが、明文改憲阻止への大きな力になるでしょう。
ただ、私が思うには、こういう市民運動というのはえてして仲間内での動きに終始することが多く、外へ広がっていかないケースがままあります。<運動>、英語でmovement、エスペラントではmovadoといいますが、動詞形のmove,moviは他動詞です。目的語があります。日本語では「動かす」という意味です。何を動かすのか?人間を、社会を動かすわけです。動き回ること=活動は、そのまま運動ではありません。したがって、仲間同士での学習会もたいせつでしょうが、考え方の違う人たちとも接していくこと、例えば、自民党や民主党の議員に来てもらって(彼らは地元の集会であれば喜んで来るでしょう)「なぜ改憲が必要か」について講演してもらう、というのはどうでしょうか。相手の考えもよく知る必要があります。議論を徹底的にやるべきです。「敵が攻めてきたらどうするのか」、いわゆる戸締り論ですが、これについても私たちは相手を説得できるだけの論理の力とスキルを身に付けなくてはなりません。
こういうことを言うと、最近の若い真宗僧侶は、「そういうのは、己を正義とし相手を非とする思い上がりだ」と言いたがる人が多くてじつに困ったものですが、仏教の伝統では、正分別と邪分別を峻別しているのであって、社会をどういう方向に進めていくのかの議論は正分別になる、ということだけを付け加えておきましょう。
ところで、この発足のつどいで講演をなさったのは、鶴見俊輔先生でした。すばらしく力のこもったお話でした。私は2ヶ月ほど前にも國弘正雄先生の講演を拝聴する機会があり、鶴見先生といい、國弘先生といい、高齢でありながら話し方に力があるのでびっくりしました。このお二人は「本物の知識人」だと思いました。右翼系雑誌ではよく「進歩的文化人」を揶揄する論調がありますが、少なくともこのお二人は、「ノブリス・オブリージュ」(高貴なる人の高貴なる義務)を大切になさっている点では、「文春」「諸君」系の知識人など足許にも及ばないでしょう。私は、今まで貴族とかエリートなどというものに意義を認めませんでしたが、今の日本を見ていると、真の意味でのエリートが大切だと思えてきました。官僚や政治家がエリート視される日本においてこそ、「ノブリス・オブリージュ」が必要なのでしょう。
(2005年12月8日脱稿)