- 支婁迦讖訳『平等覚経』(漢訳、2世紀後半)--二十四願系、初期無量寿経典
- 支謙訳『大阿弥陀経』(呉訳、3世紀初め)--二十四願系、初期無量寿経典
- 康僧鎧訳『無量寿経』(魏訳、252年)--四十八願系、後期無量寿経典
- 菩提流支訳『無量寿如来会』(唐訳、8世紀初め)--四十八願系、後期無量寿経典
- 法賢訳『大乗無量寿荘厳経』(宋訳、10世紀末)--三十六願、中間?
おおよそ、経典は序分・正宗分・流通分に分けられるが、この経の序分には、それが王舎城の耆闍崛山において、すぐれた比丘や菩薩たちに対して、釈尊が五徳の瑞相をあらわしつつ説かれたもので、如来が世間に出現されるのは、苦悩の衆生に真実の利益を与えて救うためであるといわれている。
正宗分にはいって、第一に法蔵菩薩が発願し修行して阿弥陀仏となられた仏願の始終が説かれる。まず「讚仏偈」には、師の世自在王仏を讚嘆しつつ、みずからの願を述べ、ついで諸仏土中における選択と、それによってたてられた四十八願が説かれるが、なかでも、すべての衆生に名号を与えて救おうと誓う第十八願が根本である。次に四十八願の要点を重ねて誓う「重誓偈」が、さらに兆載永劫にわたる修行のさまが説かれ、この願と行が成就して阿弥陀仏となりたもうてから十劫を経ているといい、その仏徳と浄土のありさまがあらわされている。下巻にいたると第十八願が成就して、衆生は阿弥陀仏の名号を聞信する一念に往生が定まると述べ、さらに浄土に往生した聖衆の徳が広く説かれる。こうして第二に釈尊は弥勒菩薩に対して、三毒、五悪を誡め、仏智を信じて浄土往生を願うべき旨が勧められる。
最後に流通分にいたって、無上功徳の名号を受持せよとすすめ、将来聖道の法が滅尽しても、この経だけは留めおいて人々を救いつづけると説いて終っている。
(サンスクリット・チベット語のローマ字転記は Kyoto-Harvard 方式による)